短編

□消えない想い
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轟くような歓声が聞こえる。



焼き付くような太陽の光が、俯いた首筋をジリジリと焦がす。
ユニフォームは泥だらけで、滝のように流れる汗を吸い込んでズシリと重い。



甲子園決勝、最終回裏。



ここまで、やって来たのだ。
点差は2点。ツーアウト2塁3塁。

あと1球投げきれば俺達の勝ち。

あと1球打たれれば俺達の負け。

こんなドラマチックな場面、生涯に1度あるかどうかもわからない。


俯いていた顔を上げて、、マウンドに立つ三橋を見る。
真っすぐにオレを見るその視線は、試合特有の真剣さがある。
3年間ずっと、受けて来た球。
一度も要求から逸れたことのない、最高の球。

オレの判断で、この試合が終わるんだ。
”試合の命運を握る”という言葉が、冗談ではないこの状況に、体が固くなる。



「スンマセン、タイムをお願いします」



背後に控える審判にそう告げれば、野太い声が試合の中断を叫んだ。
その声から逃げ出すようにマウンドへ駆け寄る。

キョトンとした顔の三橋の額から、一筋の汗が玉とかなって流れ落ちた。



「ど…した の?」



3年間、結局直らなかったどもり癖。
不思議そうに首を傾げる三橋に、オレは苦笑した。



「これが、最後の一球だ」



その言葉に、三橋の肩がピクリと揺れた。



「お前はずっと、本当のエースになりたいって言ってたよな?」



ゆるゆると喋るオレの言葉に、三橋は真剣な表情を浮かべて、一言一句聞き逃さないように必死に耳を傾ける。



「お前はもう、本物の、最高のエースだよ」



それだけは、伝えたかった。

この仲間たちでする野球が終わってしまう前に。

顔を赤くして慌て出す三橋に、オレはゴクリと固唾を飲み込んだ。
これは、最後の駆け引きだ。
もしかしたら、この一言で試合を目茶苦茶にしてしまうかもしれない。
もしかしたら、三橋に治癒できないような深い傷を負わせてしまうかもしれない。

それでも、最後に確かめたい。



「どんな球でも捕ってやる。最後の一球、お前の精一杯の球を投げろ」



お前のオレへの信頼を。



「阿 部く…」



驚いたように目を見開いた三橋の目を、真っすぐに見つめる。

逃げたと思われるかもしれない。けれど、オレは最後に三橋の選んだ、三橋自身が最高だと思える球が受けたかった。
三橋とオレを繋ぐ絆はもうすぐ消える。

オレへの信頼が少しでも揺らげば、三橋はきっと首を横に振る。いや、振らなくても、表情を見ればわかる。



それくらい、ずっと見てきたのだから。



三橋は少しの間呆然としていたが、すぐに真剣な表情になると頷いた。
信頼を、返してくれたのだ。
三橋の答えを見届けると、オレはホームへ戻った。

強くなったと、思う。

3年間、色んなことがあって、三橋はこの中の誰よりも成長した。
マウンドに目を向けると、三橋の目を見つめてミットを構えた。三橋は一つ頷くと、一度だけ、小さく深呼吸をした。それに合わせて、オレも小さく深呼吸する。



三橋はゆっくりと、おおきく振りかぶる。



放たれた白いボールは、曲がりもせず、真っすぐに向かってくる。

ほんのコンマの時間が、まるで永遠に感じる。

このまま、時間が止まってしまえばいい。

そうすればオレ達はずっと、オレ達の野球を続けられる。

そうすればオレはずっと、三橋とバッテリーを組んでいられる。

そうすれば

そうすれば…







三橋とずっと、一緒にいられる








次から次へと溢れ出る感情と走馬灯。

それは手に響いた衝撃に吸い込まれるように消えた。



ミットに納まる白球。

顔を上げて、マウンドに目を向ける。

すると、三橋と目が合った。


まるでスローモーションのように、三橋は投球後の体勢を戻す。



そしてその顔にゆっくりと、満面の笑みを浮かべた。



















「三橋…」



出した声は掠れていて、それでもはっきりとした哀惜の響きが含まれていた。

4年経って思い出したのは、胸が苦しく成る程の熱情。

足りないものなど、本当は最初からわかっていた。けれど、知らない振りをしていたのは、きっと未だに君がいない生活を受け入れることが出来ないから。

あの頃から変わらず、オレは弱いままだ。

強くなった三橋の背中を見送って、オレはこの想いに蓋をした。
信頼をくれた三橋に真っすぐに向き合わなかったのは、弱い自分を護るため。

拒否されるのが、怖かった。

最初のように、また怯えた目で見られるのが怖かった。

けれど、気付いてしまった。

そんな恐怖より何より、君が大切なんだと。







にぎりしめていたボールを脇に於くと、カバンの中からケータイを取り出す。

使い慣れたケータイのアドレス帳を開けば、指は自然と動き、ある一点で動きを止めた。


『三橋 廉』


指が覚えてしまうくらい何度も開いたアドレス帳の一行。
体は覚えているのに、心はそれでも無視しようとしていたことに今更気付き、思わず苦笑してしまう。



でも、もう気付いてしまった。

思い出してしまったのだ。


あの頃の熱情を。


あの時の笑顔を。



ボタンを押して、開いたページから電話番号を選ぶ。
電子的な音を鳴らして、あの時から止まっていた時間が、再び流れ始める。



「よぉ、三橋。久しぶり。…あのな、話があるんだ…」









End







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