短編
□消えない想い
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最後にアイツの球を受けて、もう4年が経とうとしている。
あの日最後に見たアイツの背中は、正しくエースという名に相応しく、マウンドに立って天を仰ぐその姿は、4年という歳月を経て今なお俺の中に鮮明な映像として残っている。
あれからもう、4年も経ったのだ。
消えない想い
玄関の扉を開ければ、窓から入って来た夕日が部屋の中を紅く染め上げていた。
その眩しさに目を細め、鞄をベッドに投げると早足にカーテンを閉めに窓へと向かう。
光を遮ったカーテンは、同時に部屋の中の明かりを奪いさって、ワンルームの小さな部屋は簡単に暗闇に沈んだ。
薄暗闇の中、手探りで電気のスイッチをつける。
4年近く過ごしたこの部屋の配置は身体に染み付いている。
埼玉から東京の大学に出て4年。
それはイコール、一人暮らしの長さだ。
「……ふぅ…」
着慣れないリクルートスーツのネクタイを緩める。
最近本格化してきた就職活動は、不況の波を受けてか中々思い通りに進まない。
未だ慣れない面接を受けた日は、今日のように疲労困憊してしまう。
これならまだ、野球の試合の方が楽だと思う。
捕手というポジション柄、配球や敵チームのこと、そして試合の流れなど全てを考えながら試合を進めていくのは確かに心身ともに疲れる。
しかし、野球の試合は達成感があるし、楽しさもある。そして何より共に戦う仲間がいる。
就職活動を始めて思ったことが、仲間の存在の大きさだ。
就活仲間というものは確かに存在するが、それぞれなりたいものや目指すものが違うし、ゴールの瞬間も違うのだ。就活仲間はある時にはより大きなプレッシャーを与えるだけの存在にもなりうる。
そういったことを考えれば、就活は個人の戦いなのだ。
そういう意味では団体競技である野球とは正反対に位置するものなのかもしれない。
シニア、高校、大学と、ずっと野球を続けてきた。
シニアでは榛名という癖の強い投手と出会い、高校ではまた別の意味で癖の強い三橋と出会った。
幸い、大学にいた投手はそれまでと比べて善くも悪くも平凡な投手で、それなりに楽しむことはできた。
けれどずっと、どこか満たされない気持ちが心の中にあった。
それが一体何なのか。今まではほぼ毎日ある部活やバイト、課題などを理由に考えないようにしてきた。
けれど、部活を引退し、就活のためにバイトを減らして、考える時間ができた。
就活は自分を見直す機会だと、誰かが言っていたのを思い出す。
自分が何をしたいのか。何故したいのか。そしてまたその理由は。
一度問い直すだけでなく、更に深く。更に奥へと自分の答えをだしていく。
その機会が就活なのだ、と。
そうして考える時間が出来ると、自然とそれまで無視してきた心の空白も無視できなくなってくる。
それは一体何なのか。
毎日してきた野球をしなくなったから?
それもあるかもしれない。けれど、それだけじゃない気がする。
大学の仲間達と会えなくなったから?
それぞれ自分達の就活で忙しい友人達とは最近では学校でも中々会うことが出来ない。
でも、それはどこか違う気がする。
それなら一体、ずっと感じるこの空虚感は?
『ずっと』
それは、一体いつから?
「こっちに来てからか…?」
スーツを脱いで、ラフな恰好でベッドに身を横たえる。
薄い壁越しに、少し気の早いバラエティー番組の笑い声が隣の部屋から聞こえてきた。
ふと首を横に向ければ、本棚の上に無造作に置かれた野球ボールが目に入る。
高校最後の練習で使ったボールだ。
モモカンに無理を言って譲ってもらった、三橋から最後に受けたボールだ。
疲れで重たい身体を起こして、本棚の上で埃を被っているボールに手を伸ばす。
手に良く馴染むそのボールは汚れが染み付いていて、もとは白いはずなのに土色に染まっていた。
くるくると器用に手の中でボールを回せば、胸の奥がギュッと締め付けられるような、そんな息苦しさを覚えた。
やはりあの空虚感は、高校卒業…というより、部活を引退してから感じるようになったのだ。
ことの発端がわかれば後はスルスルと記憶が蘇ってくる。
それは4年前のあの日。
あいつがマウンドで笑った、最初で最後の日。