短編
□俺の気持ち
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「……ヒッ…!!」
突然背後でガサッという音がして、背筋が震えた。
そろそろと後ろを振り向くと、腰ほどの高さがある草むらの中からピョン、と小ウサギが飛び出して来た。
ヒクヒクと鼻とヒゲを動かすと、すぐにどこかに去っていった。
ホッと息をつくと、周りを見渡してみる。
太陽の光も入らない薄暗い森には、木々が鬱蒼と繁っている。
地面は地面で深緑の草が伸び放題で、明らかに獣道だろうという所を今歩いている。
一歩進むごとに暗さが増しているような気がするのは思い過ごしだろうか。
出来れば今すぐにでもしゃがみ込んでしまいたい。
それでも歩き続けてるのは、多分立ち止まっていてもこの状況は変わらないということがわかっているからだと思う。
なんでこんな状況になってしまったのか。
それは数時間前に遡る。
「参ったな…」
キャンプ場なんかにある立派なウッドハウス。
その脇に置かれたベンチに腰掛けてぼんやりしていると、耳に入って来たのは困ったように呟かれた人の声。
声に目を向けてみれば、こちらに背中を向けた状態で立っているサージュの後ろ姿が見えた。
不思議に思って近づいてみると、サージュは困った表情で何かを見ていた。
「ど…どう、したの?」
「ん?ああ、レンか」
ようやく三橋の存在に気付いたサージュはニコッと三橋に笑いかけると、またすぐ困ったように眉尻を下げた。
「それがね、保存食用に貯めてたイリカの木の実がウルフ達に食べられちゃったみたいなんだ」
この季節にしか実らないから、ないと困るんだよ。と弱ったようにため息をつくサージュを見て、三橋はピンッと背筋を伸ばした。
「お、オレ、…行く よ!」
目をキラキラ輝かせる三橋の言葉にサージュは首を傾げた。
三橋はそんなサージュに気付かないのか、興奮気味に頬を紅潮させている。
「行く…って、もしかして、木の実を集めに?」
少し考えると、サージュは三橋が何に行こうとしているのかに思い当たり、驚いたように尋ねた。
三橋はサージュの言葉に浚に目を輝かせて大きく頷いた。
「え…でも、結構深いところにしか生えない木だから危ないかもしれないよ?」
「だ、大丈…夫!」
フンッと鼻息荒く頷く三橋は、サージュが何を言っても聞かないだろうというくらいに勢いが良かった。
しばらく迷っていたサージュだったが、三橋の期待の篭った目に見つめられ、仕方ないと折れた。
それが、今朝の話。
案の定三橋は森の中で迷子になっていた。
幸い、時間がかかるかもとサージュが持たせてくれたお弁当があったため、空腹に苦しむことはなかったが、広い森に一人きりという孤独感が三橋を容赦なく襲う。
木の実を入れる為の革袋は土や草の汁がついて汚れてしまっている。
未だ空っぽのその革袋をギュッとにぎりしめて恐怖に耐える。
「…ふ……ふぐっ…」
滲む視界に、涙が零れないように歯を食いしばる。
サージュに言われた通り、東に真っ直ぐ歩いて来たはずだが、今ではちゃんと東に向かっているのかわからない。
ただ、歩かなければという思いで足を進める。
ガサガサッとまた背後で茂みが揺れた。
今度は先程のウサギよりも大きな音だった。
三橋はビクッと体を揺らすと、腰を落として耳に神経を集中させた。
草が擦れ、踏み付けられる音がする。
音はどんどん近づいて来ているようだ。
どどどどうしよ う…!!!
混乱する頭に浮かんでくるのは、背後から襲い来るモンスターの姿だ。身の丈以上のモンスターに、成す術なくやられてしまうかもしれないという恐怖に、三橋は立ちすくんだまま動けない。
ギギギ、と音がなりそうなほどぎこちない動きで、ゆっくりと後ろを振り返る。
ガササッとすぐ近くで茂みが揺れた。
「ヒッ!!!!」
「三橋!」
茂みから黒い影が現れ、声にならない声をあげた三橋の叫びを掻き消したのは、怒気を含んだ声だった。
「ヒィ…!…?…あ、阿部 く…」
涙を拭ってクリアになった視界に入り込んで来たのはムスッと顔をしかめて腕を組む阿部の姿だった。
「なんでお前はそう一人で勝手に行動すんだ阿保!!!」
「うっ?え…、ご、ごめ…?」
突然早口でまくし立てられ、三橋は混乱しながらも反射的に謝った。
明らかに理解していないだろう三橋に阿部はいらだたしげに舌打ちし、サージュもサージュだ、と愚痴を零した。
「こんな深い森、一人じゃ迷うに決まってんだろ!おら!帰るぞ!!」
怒りを振り撒きながら阿部は三橋に背を向けると、もと来た道を戻り始める。
三橋は慌てて阿部に駆け寄ると、袖を引っ張って止めた。
突然の三橋の行動に驚いた阿部は歩みを止めて三橋の顔を見た。
「あ、木の…実……まだ…」
「木の実?」
怪訝そうに眉を寄せる阿部に、三橋は空の革袋を見せた。
木の実を集めて帰りたいという三橋の思いに気付いた阿部は不機嫌そうに革袋を見た。
「別にいいじゃねぇか。だいたい、迷子になった奴がんなワガママ…」
「ダメ!だ、よ!!」
阿部の言葉を遮って大声で叫んだ三橋に、阿部は言葉を失って三橋をじっと見つめた。
「サージュと、約束…した!…そ、それに、役 立たな…きゃ!」
阿部に分かって貰おうと必死に言葉を紡ぐ三橋は、革袋をにぎりしめて涙ぐむ。
サージュの家に住むようになって、三橋はずっと何か自分に出来ることはないかと探していた。薪集めや料理の手伝いなど、進んで申し出たが、そのどれもが危ないから、と阿部に止められてきた。
ピッチャーである自分の指や、自分自身を案じてくれていることは痛いほどわかっているし、嬉しくもある。
けれど、その阿部の優しさに甘えていてはダメだと、この世界にきてわかったのだ。
全てが自給自足のこの世界での暮らし。
指や体を傷つけても、生きるためにしなければいけないことはたくさんあるし、自分自身そうやって生きていきたい。
阿部に守られるだけでなく、阿部の力になりたいのだ。
もし今回、この仕事を一人で達成出来たら、阿部もきっと認めてくれる。
そう信じて三橋は一人歩き続けたのだ。
結局、一人では木の実を集めることは出来なかったけれど、最後まできちんと仕事をこなしたい。
三橋はたどたどしい言葉で懸命に阿部に思いを訴えた。
静かに三橋の言葉を聞いていた阿部は、はぁ、と大きくため息をついた。
「……お、オレ…あの…」
阿部を本気で怒らせたかと思い、三橋がビクッと体を強張らせると、阿部は頭をガシガシと掻いた。
「…ったく、お前も相当頑固だよな」
恐々と阿部の様子を伺う三橋に、阿部は苦笑を浮かべると、三橋の手を引いてさっさと歩きだした。
「う?あ、阿部くん…?」
「行くんだろ?木の実集め。…さっさと終わらせるぞ」
ワタワタと阿部に手を引かれながら小走りでついていく三橋が首を傾げると、少し照れたように阿部は前を見たままそう言った。
行き先がイリカの木だとわかると、三橋は表情を明るくして阿部の手をギュッと握り返した。
「あ、ありが とう!…阿部く ん!!」
チラリと見えた阿部の耳が赤く染まっているのを見て、三橋はふわりと微笑んだ。
そう、僕が欲しかったのは、本当は。
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