短編
□輝翼の飛翔
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「じゃあ叔母さん、よろしくお願いします」
「これ、少しだけど持っておいき」
「いつもありがとうございます」
「気をつけてお帰り」
「はい」
どこかよそよそしい会話に耳を傾けながら、暗闇の中で壁にもたれ掛かって少年を待つ。
話を聞いて分かった事は、少年の名前がアズサという事と、少年は一人暮らしをしていて、妹達は叔母の家で暮らしているということ。
「待たせたな」
「んや?」
扉から洩れていた家の光もなくなり、燈籠の火の光と月明かりだけが道を照らしている。
二人並んで歩く家への道程の中で会話は少ない。
昼間はあんなに活発に鳴いていた蝉も今は眠りについている。
ただ土を踏む音と、鈴虫の歌声だけが響いている。
「夜は夏でも涼しいんだな」
時折吹く風は夏の熱気を掠って行くかのように心地よく体を撫でていく。
屋敷にいた頃には知らない空気が此処には確かに流れていて、思わずそう呟いた。
「お前、変な奴だな」
「お前じゃねーよ。俺には田島悠一郎って名前があんだぞ」
膨れっ面をしてそう言えば、一瞬間抜けな顔をした後にアズサはふわっと優しく笑った。
「そうか。悪かったな」
その優しい笑顔に、胸が何かに掴まれるように苦しくなった。
アズサの家は、アズサの叔母さんの家から半刻程歩いた町外れにぽつんと建っていた。
必要最低限のものしかない家の中は、夏なのになんだか寒々しい感じがする。
「なぁ、なんで独りで住んでんの?」
小さいと言えど、立派な家に妹達と暮らすのは不可能ではないはずなのに、何故離れ離れに暮らしているのかがただ不思議だった。
それだけだったのに、その時のアズサがとても悲しそうに小さく笑ったから、それ以上なにも言えなくなってしまった。
「田島は何処から来たんだ?」
寝床の用意をしているアズサを見ていると、不意にアズサが問いかけて来た。
初めて苗字で呼ばれて思わず心臓が跳ねた。
それに驚いて、しかも何だか無性に悲しい気持ちになってわけがわからなくなって俯いた。
「どうした?」
頭の上から心配そうなアズサの声と柔らかい声音に胸が痛くなる。
初めての痛みに不安が広がる。
「俺、病気になっちゃったのかな!?」
「は?え、具合悪いのか!?」
慌てだしたアズサの困惑顔を見上げると、胸の痛みが増した。
やっぱり自分は病気になってしまったみたいだ。
「なんかわかんねーけど、ここんとこがギュッて痛い」
胸を掴んで俯くと、アズサは慌てて立ち上がった。
蝋燭の明かりに照らされてアズサの大きな影が俺をすっぽりと覆った。
「と、とにかく寝てろ!今医者連れて来るから!」
出口に向かって方向転換したアズサの影が離れて遮られていた明かりが戻ってくる。
明るくなった視界に、無意識のうちに目の前を滑っていくアズサの服の裾に手を伸ばした。
「どうした?」
突然引き止められて驚きつつも戻って来たアズサを見て、不思議と胸の痛みが引いていく。
よかった。治った。
「アズサ」
「な…んだ?」
アズサがどこか困惑したように視線を泳がせた。
また胸が痛くなる。
「…なんでも…ない」
何を言えばいいのかわからなくて、何度か口をぱくぱくとさせた後に出て来た言葉は思ったよりも弱々しくて自分自身驚いてしまった。
こんなの、俺の声じゃない。
やっぱりおかしいんだ。早く治さないと。
「大丈夫か?」
「うん。もう寝る」
ぎゅうぎゅうと締め付けるような胸の痛みは、もしかしたら慣れない外の世界に出て来たからかもしれない。
きっと寝れば治るはずだと言い聞かせて、何か言いたげなアズサの視界から逃げるように布団に潜り込んだ。