短編

□月籠の胡蝶
8ページ/12ページ





「半月後、お前を引き取りに来る。これからは客は取らんでいいからな。新しいご主人の元に行くまで、出来るだけ綺麗な体でおらんとな。それにしても今時………」



延々と話し続ける男の顔は嬉々としている。
それもそうだ。男唱の賞味期限は短く、その上この世界に男唱を引き取ろう等という奇異な人間はそう何人もいないのだから。

育ててくれた父に恩返しが出来るのだと思いながらも、やはり胸を占めるのは永遠に会えなくなる人のこと。

一方は遠く離れた地へと行き、そして一方は表へ出られぬ檻へ行く。

それは、完全な縁の切れ目だった。















月籠の胡蝶
〜アイコトバ〜
















暖かさに僅かに湿気を孕んだ日差しが大地に降り注ぐ。
春は満ち、桜は満開を越えて既に散り始めている。

これから梅雨に向かってけだるくなる時期が始まるのかと思えばため息が思わず出てしまった。


仕事を失って三日が経とうとしていた。
客を取ることを取り上げられた自分に出来る事など何もない。
窓辺に座って空を眺めれば、遠くに灰色の雲が迫っているのが見えた。
夕刻には雲が空を覆ってしまうだろう。

ただずっと座っているだけの毎日は酷く味気なくつまらない。
時間の流れもとうに狂ってしまい、一刻一刻が無限に感じる。


こんな時に思い出すのは、やはりあの日々だった。


人生の中で唯一世界が色付いて感じた日々。

もう二度とやって来ない、失った時間。


偶然か必然か、浜田が外国へ旅立つ頃に自分もまたこの屋敷を出ることになっている。

二人にとって、それはどちらも新しい未来の始まりなのだろう。
ただ、浜田は光に向かって、自分は闇に向かって、という違いはあるのだが。

それはそれで、必然的なことなのかもしれない。

自分に光を与えてくれた浜田に闇は似合わない。
浜田は自分とは違い、日の光の下にいるべき人間なのだ。

だからきっとこれで良かったんだ。



永遠にも感じる時間の中で、ゆっくりと考えることが出来たのは幸いだったのかもしれない。
これで心置きなく浜田を忘れることが出来るだろう。



ゆったりと息を吐きながら目を閉じる。
瞼に遮られた光は、それでも眼球にまで柔らかな日差しを与える。

廊下が軋む音が響いて来た。

どうやらこの部屋に向かっているらしい。



「兄さん」



スッと音もなく開かれた襖の奥から遥が顔を覗かせていた。



「どうした?」

「失礼します」



首を傾げて遥を見れば、遥は一度廊下に目を配らせて誰も居ないことを確認すると、僅かに開いた隙間から部屋の中へと滑り込んで来た。



「兄さん、これを」



遥はまるで警戒するかのように辺りに神経を配らせながら近付くと、懐から白い折り畳まれた紙を取り出した。
それを受け取ると、遥はホッと気が抜けたかのように肩を落とした。



「なんだ、これ?」

「浜田様からお預かりしたものです」



小声でそう囁くと、遥はすぐに部屋を出ていってしまった。
引き取り前の商品は外部との接触を一切許されていない。そのため遥は人目を忍んでやってきたのだ。

遥から受け取ったその白い紙をぼんやりと見つめる。



「…手紙?」



折り畳まれた紙を広げれば、そこにはたった一行だけ文章が記されている。

とは言え、教育を受けていない自分にはなんと書かれているかがわからない。
浜田は知らなかったのだろう。
この屋敷にいる誰も文字など読めないことを。
遥はこれが手紙だということも知らなかったに違いない。自分達にとって、手紙など身近なものではなかったのだから。恐らくはただ浜田に言われたからこれを持って来たのだろう。



ポタリと紙面に水滴が落ちる。


字が滲み、紙が黒く染まっていく。



たった一行の言葉。

それすら伝わらないのは、まさに自分達が置かれた境遇のようだった。




最後に浜田がくれた『愛してる』の言葉を、その時の俺には知る術などなかった。















永遠というものはこの世には存在せず、緩やかに、けれども確かな早さを持って時間は流れて行った。

あの日貰った最後の言葉を引き出しにしまい込んだまま、俺が屋敷を出る日がやって来た。





次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ