短編

□月籠の胡蝶
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それから何度訪れようとも、浜田は俺を抱くことはなかった。

どうしてなのか俺にはわからなかったけど、体の関係がなくとも俺は満足していたし、それは浜田も同じだったと思う。

もしかしたら自分達が老いて自由になるまでこのままの二人でいられるかもしれない、なんて、淡い期待を抱き始めていた頃だった。



突然浜田は屋敷を訪れなくなった。








月籠の胡蝶
〜モトムココロ〜
















「兄さん、お時間です」



遥の声が薄い襖越しに響いた。
窓の外に向けていた目を戻せば、部屋はすっかり暗闇に覆われており、鮮やかな紅い衣も黒い塊にしか見えない。

声の様子からして、今夜も来てはいないのだろう。



「…今日は」



あの頃から習慣となった質問に、ここ数カ月芳しい答えは返ってこない。
それでも止められないのは、限りなく小さな可能性を捨て切れないからだ。


我ながら女々しいことだ。


黙ったまま俯く遥が持つ蝋燭の小さな灯を見ながら自嘲する。



俺は何かしてしまったんだろうか。



何度も繰り返した自問に、襲ってくるのは悲しみと痛み。

もしかしたら、もう飽きてしまったのかもしれない。

もともと浜田にとってはただの暇潰しだったのかもしれない。

だからこそ浜田は俺を抱かなかったのだ。
変な情が湧いてしまわないように。
気が変わった時にすぐに関係を断ち切れるように。
だからきっと、浜田はもう此処には来ない。



そう考えただけで、胸が締め付けられるような思いがした。



浜田が来なくなって、俺は前にも増して仕事に勢が出なくなっていた。

気がつけば、浜田と再会して一年半が経っていた。



















秋の月は四季の中で最も美しい。
特に満月になれば、外は昼間とは違う優しい明るさに包まれ、心穏やかになれる。

再会した頃には満開だった桜の木は、今は葉も花も付けていない。それでも美しくその大きな影を地に落としている。



「兄さん」



パタパタと駆け足でやってきた遥は、珍しく声もかけずに襖を開けて中に入って来た。

客が来るにはまだ早い時間だが、一体どうしたのだろうと不思議に思っていると、興奮しているのか、少し頬を赤くしている。



「どうした?」

「いらっしゃいました!お部屋でお待ちです」



誰が、とは聞かずともわかった。
投げ捨ててあった紅い衣を無造作に羽織ると、遥よりも先に立って廊下を進む。

早く、早くと急かす心に付いてこない足が恨めしい。

暗い廊下を進み、通い慣れた部屋の襖を開ける。

暗闇に光が溢れた。



「久しぶり、泉」



少し大人っぽくなったその笑顔は変わらず暖かく、優しかった。



「はま…だ…!!」



懐かしささえ感じるその胸に飛び込めば、大きな手が背中を優しく撫でる。
その温かさに視界が滲む。



「何ヶ月ほっといてんだよ…!」

「ごめんね」

「べ、別に、お前は…ただの客だし、…来るのは、お前の自由だけど、」



しゃくりあげながら零す言葉はとても聞き取りにくいだろうし、言ってる内容も酷く可愛いげのないものだとわかっている。
それでも浜田はふわりと抱きしめたまま静かに耳を傾けてくれる。



「…俺、…もう、飽きたのかと、思った」



口にすれば酷く胸が痛むその言葉に、思わず浜田の着物を掴む手に力が篭る。



「飽きるわけないじゃん。ちょっと仕事が立て込んでたんだ。来れなくてごめんな」



こっちは必死で言葉を紡いでいるというのに、何故か嬉しそうに謝る浜田を訝しんで顔を見れば、その頬は明らかに緩んでいる。



「……何笑ってんだよ」



ギッと睨み付ければ、浜田はアハハと笑って視線を逸らしたが、その頬は相変わらず緩みっぱなしだ。



「いやぁ、まさか泉がそこまで俺の事待っててくれてるとは思わなくって」

「な!?べ、別に待ってねぇし!!」

「えー?どうなの?ハル」

「非常に心待ちになさっていたかと」

「っておい!ハル!!」



いつものように入口付近でのんびりお茶を立てていた遥は、突然振られた質問に驚く様子もなく答える。
遥の返事に泉は顔を真っ赤に染めたが、掴んだ浜田の着物を離そうとはしなかったのが心情を如実に表していることに、慌てていた泉は気がついていなかった。






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