短編

□月籠の胡蝶
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初めて客を取ったのは、12歳になった時だった。


相手は確か、医者だと言っていた。
今ではもう顔もよく覚えていないけれど、纏わり付く空気と体中を這い回る男の手の気持ち悪さは覚えている。

怖かった暗闇は、あれから毎晩俺を包み込むものになり、今では当たり前になってしまった。

初めの頃は嫌だと毎晩泣いていたけれど、この屋敷で生きていくにはこの状況を受け入れる他なかった。



毎晩訪れる男達はみんな何かに飢えていた。

それが何なのか、俺にはわからない。

その飢えを補うように、毎晩男達は俺を抱く。
上辺だけの愛を囁き、朝にはなんの未練も残さず去っていく。

まるで一夜の夢のような時間を過ごして消える男達。



「兄さん、時間です」



そして今夜も俺は、醒めない悪夢を漂う。












月籠の胡蝶
〜サイカイ〜









「…大丈夫ですか?」



気まずそうな声に顔をあげると、前を歩いていた遥が蝋燭を手に振り返っている。
バレないように気をつけていたが、やはりごまかしは効かなかったようだ。

痛む腰に手を当て、苦笑する。



「大丈夫。ちょっとキツイだけだ」

「…すみません。俺がいたせいで…」



どうやら遥は昨晩の波崎のことを気にしているらしかった。



「別にハルのせいじゃねぇって。あの馬鹿が変に盛りやがったせいだし」

「ですが…」

「もー気にすんな」



ニカッと笑ってみせれば、納得しかねながらも遥はまた廊下を歩き出す。
それに続いて鈍く痛む腰と、怠い体を引きずりながら今夜の悪夢の舞台へと足を進める。
















「ようこそお出でくださいました。お初にお目にかかります、コウと申します」



深々とひざまずいて中に控える客に挨拶をする。
相手が声をかけるまでは顔を上げてはいけない。それがルールだ。



「えーと、泉…だよね?」



中から聞こえたその声は、今まで聞いたどの種類の欲も混じっていないものだった。



今夜の客は初来店だと聞いていたが、間違いだったか?



自分の名前、しかも苗字を知っているということは、この屋敷で働いていた者だろうか。

不思議に思いながら顔をあげると、ランプの明かりを反射してキラリと何かが光った。

珍しい金色の髪を持つその男に見覚えはない。



「………ええと、失礼ですが、どこかでお会いしましたでしょうか?」



困惑気味に尋ねれば、男はあはは、と気弱そうな笑みを浮かべた。



「そっか。もう7年も前だもんな。覚えてないよな」

「7年…」



微笑む男の瞳は酷く優しく、そんな目で見られたことがない自分には落ち着かないものだった。



「じゃあ、改めて。初めまして。俺は浜田良郎。しがない貿易商やってます」



暗闇に突然光が溢れ出した。



不意に、懐かしい思い出か蘇ってくる。
まだ何も知らず、外に焦がれていた頃。

初めて知り合った、外の世界の男の子。



「浜田…良郎…」

「久しぶりだな。泉」



その微笑みは変わらずに暖かく、その瞳には光が溢れていた。



ずっと忘れていたその温もりに、知らず知らずのうちに涙が零れた。
















「落ち着いた?」



突然泣き出した俺に驚いてはいたものの、浜田は直ぐに駆け寄って俯いた俺をふわりと抱きしめ、頭を優しく撫で続けた。
遥は少し前に浜田が下げさせたため、この部屋には今は二人しかいない。


涙はなかなか止まらなかった。

悲しいわけじゃない。
それでも涙は止まらない。

ただ、頭の上にある手の暖かさと温もりがその涙を助長させているのは間違いはないようだった。



「また来るから。今日はゆっくり寝たらいいよ」



ようやく止まった涙は、急速な眠気を連れて来た。
浜田に体を預けると、その暖かさに瞼が落ちてくる。
優しい声音に固くなった何かが解れていくのを感じた。



そのまま俺は、夢も見ないほど深い眠りに落ちていった。




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