短編
□月籠の胡蝶
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月籠の胡蝶 番外編
〜薔薇色の人生〜
父との別れも終え、泉が浜田に手を取られて馬車に乗り込んだ時、そこには先客がいた。
「ハル!?」
馬車の中で所在無さげに座っていた遥は、入って来た泉の顔を見ると安心したように表情を明るくした。
「兄さん!」
「なんで此処に?逃げたんじゃ…」
わけが分からず、浜田を振り返れば、浜田はニコニコと楽しそうに笑った。
「ちょうどハルが裏口から出て来た所に鉢合わせてさ。連れて来ちゃった」
「いや、連れて来ちゃったってお前…」
悪びれる様子もない浜田に呆気に取られながらも、遥との再会に安堵した。
そこでふと、大事な事を思い出した。
「そういえば、お前英国に行ったんじゃなかったのか?」
ニコニコと笑っていた浜田に尋ねると、浜田はそっと泉の手をとった。
「うん。今から行くんだけど、ついて来てくれるかな」
尋ねるように首を傾げているが、拒否は認めないという意志がはっきりと伺える口調に、泉は思わず笑みを浮かべた。
「嫌だっつっても連れて行くんだろ?」
「来るなって行ってもついて来るよね?」
楽しそうに笑う泉に合わせるように浜田も笑えば、泉は浜田の胸に飛び込んでギュッと抱き着いた。
「当たり前だろ、ばーか」
笑いあいながら、三人は海の彼方へと共に旅立って行った。
そしてニ年後
「おい、浜田!さっさと起きろ!!」
「うぅー、あ…あと五分…」
「駄目だ馬鹿!!」
布団に包まってもぞもぞと動く浜田の上から布団を剥ぎ取れば、突然明るくなった視界に目をしばたたきながらも浜田はようやく起き上がる。
「いずみー」
「あ?なんだよ」
剥ぎ取った布団を適当に放って浜田に近づくと、突然腕を掴まれて引き寄せられた。
「おはよ」
寝起きのくせにやけに爽やかな笑顔を浮かべて、つい先ほど唇を塞いだことなど忘れてしまったかのように挨拶の言葉を口にする浜田に、思わず顔を赤くする。
「ば、馬鹿やってねーでさっさと起きろ馬鹿!!」
「馬鹿馬鹿言うなよー」
赤くなった顔を隠すように慌てて部屋を飛び出して後ろ手に扉を閉めた。
キスの一つや二つで赤くなってしまうほど純情な体はしていない筈なのに、浜田が相手ではどうしてもこうなってしまう。
それはきっと、生まれて初めての恋だからなのだろうが、それを認めるのは何となく気恥ずかしい。
火照った頬を冷ますように両手を頬に当てる。
「お二人とも、朝からお元気ですね」
「ハ、ハル!!おま…、何時からそこに!?」
「先刻からずっと此処に居ましたよ」
クスクスと笑う声に顔を上げれば、そこには屋敷に居た時よりも成長した弟分の姿があって、熱くなった頬がさらに温度を上げた。
「朝食の支度が整っていますから、何時でも下りてきて下さい」
にっこりと笑って階段を下りて行こうとする遥を慌てて追いかける。
「ハル!珈琲はもういれたのか?」
「まだですよ。兄さんがいれた方が浜田様も喜びますから」
遥と一緒に階段を下りながら尋ねれば、遥は楽しそうに笑って答えた。
食事はいつも遥が作るが、珈琲だけは泉がいれることになっている。それは遥が言うように浜田が喜ぶからでもあるが、何より浜田に珈琲をいれたいと泉が申し出た為だ。
そのため、この家で泉は誰よりも上手く珈琲をいれることができるようになっていた。
「もうそろそろ湯が沸く頃です」
「相変わらず準備がいいな」
笑いあいながら台所へと向かう二人の姿は、まるで本当の兄弟のようだった。
「あ、珈琲の匂い」
真っ白なワイシャツを着込み、ネクタイを簡単に付けていると少し開いた扉から香ばしい香りが漂ってきた。
毎朝泉がいれてくれる珈琲は二年も経つと絶品の域まで達していて、今では泉の珈琲を飲まないと一日が始まらない程体に馴染んでいる。
幸せだなぁ。
そんなことを考えながら柔らかな日差しが零れ落ちているサイドテーブルを見れば、開いた窓から舞い込んで来た爽やかな春風に本のページがめくられているのが目に入った。
昨晩ベッドで泉が読んでいた本だ。
何気なく手にとって開いたページを見ていれば、それはちょうど最終章のタイトルページだった。
「薔薇色の人生、か」
なんとも幸せそうな本だ。
泉も楽しそうに読んでいたから、きっと面白い話なんだろう。
今夜は泉に本の話をしてもらおうかな
そっと本を閉じてサイドテーブルに戻すと、朝の珈琲を楽しむために浜田は愛しい人の元へとと歩き出した。
月籠に囚われていた胡蝶は
太陽の光のもと
自由へと飛び立った