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□風車
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今日も並盛町の朝は素晴らしいほどのどかで刺激の無いものだった。
真っ青な空。優雅にたなびく雲に、忙しなく飛行する小鳥達。朝の出勤の車が通ってもおかしくないのにエンジンのかかる音一つさえ立ちはしない。邸の塀越しに見る人々もどこかのんびりと、欠伸をしながらめいめい歩みを進めていた。
それを見ていて、パンテーラはため息をついた。このごろの日本人は平和ボケし過ぎているのではないか、と。平和は悪くない。決して。寧ろ大いに結構である。
――だが、それには限度がある。何でも過度なものは良くないと言われている。それは昔に生きた人間の実体験かはさておいて、規則規律に忠実であった頃にはもう言われていたであろう言葉だ。例えば酒を飲み過ぎる、菓子を食べ過ぎるなど後々悪影響を及ぼす類いの“〜し過ぎ”がある。今の日本人、否、今の並盛の状況に限らせてもらうが、言うなれば呆け過ぎ、の一言に尽きる。緊張感のない退屈を一方的に創りだしているのだ。
代わり映えしない、だなんて一体どの口が言うのかしらね?
パンテーラは最近何処かで覚えたリズムを鼻歌に乗せた。そして、ドラム式の洗濯機からシーツを取り出し、広げた。シーツは今さっき洗い終えたのだから当たり前だが、正に洗い立て状態、ぐっしょり濡れて皺が滅茶苦茶に寄って縮こまっている。その皺を、まるで花弁が開くようにゆっくり伸ばしてゆくと、甘い柔軟剤の香りが鼻腔を燻る。花の蜜のような、フローラルな香りである。その香りはまだ濡れた匂いも混じらせているというのに、心の奥底にある凝り固まった部分を解してくれる作用がある。あくまでパンテーラ自身の中で、だが。
匂いに対して取り分け思い入れがあるわけではない。だが、本能的に疼くのか、吸い寄せられるかの如く、ひくんと鼻がひくつくのだ。
甘い。甘い。まるで自分の身体を丸ごと包んでくれるみたいな安堵感。ことごとく脳をいたぶるストレスとは無関係になれる、私の大好きなもの。大事な時間。
それは薬では手に入らない一時の快楽。
パンテーラは瞳を閉じた。

だがそれも、長くは続かなかった。

濡れたシーツに擦り寄せた鼻先に、固いものが当たった。何事かと驚いて瞳を開き、シーツの皺を今度は押し広げてみた。

「何、これ?」

すると、中には四角い、キーホルダーに付属しているような、プラスチック製のキャラクターやらが埋まっていた。

「……ロンシャン君、またジーパンのポケットに入れっぱなしにしてたのね」

呟いて指先で転がした。長い暗闇色した前髪の下で、険しく眉間を寄せる。あれほど点検なさい、と言い聞かせて来たのに。
所々塗装が剥げているのは長いこと使っているからなのか、はたまた使い方が荒いのか。
あの馬鹿のことだから、きっと後者。彼女からのプレゼントすらすぐなくす、愚か者。
しかし、繋いでいた糸やらテグスやらが見つからない。ばらばらと散らばって落ちる。まさか、他の洗濯物にも絡まっている、なんてことは無いのか。そんなことになっていたのなら、あの馬鹿、八つ裂きにしてやる。
パンテーラは掌に跡が残るのも顧みず、にっこり笑顔の印刷されたキャラクターを握りしめてから、庭の隅の方へ投げ捨てた。
ストレスも、溜め過ぎると良くない。心と身体、両方に悪影響。あと頭にも。無意識に痛くなる。
パンテーラはレースのふんだんに使われた、ふんわり広がる姫袖から風車を取り出した。





2009.08.24


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