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□無気力
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 たまにあるのだが、不意に母親の腹の中が異様に恋しくなる。暗殺なんてものを生業にしている、もうすでに二十も二つほど越えた男がこんなことを思い起こすのは少し、いやかなり変態じみていると受け取ってもらってもかまわない。

 真っ暗闇の中、獲物を一人で待ち伏せる時間。
この時間は何故か慣れずにいて、緊張が全身を駆け巡る。任務自体の中身は薄っぺらくったっていい。ただ標的一匹をぶつ切りにするだけなら造作もない。わざわざ暗殺ついでに眩しいホールに正装でダンスをしてこいなんて言われる方が面倒だ。
 自分が自分で踏みしめた砂利の立てた音にさえ、敏感に反応する困った両耳。がちがちと左手と、包帯で巻き付けた剣が震え始めたらもうすでに興奮が抑えきれないという合図。堪らなくなって吼えれば容赦なく空気が震える。視界からいらない色を全て排除して、赤い色のみに食らい付く。周りを気にする余裕なんか持ち合わせてはいないから、切れるものは端から端まで切った。例え食料を求めさ迷っていた可哀想な子猫であろうと赤い色を内に持つ生き物は残念ながら鮫の牙の餌食だ。
 そうやってしているうち、突然風が止む。終わりの合図。生温い息が何度も何度も途切れながら開きっぱなしの口から吐き出される。風は冷たい。同時に鉄臭さが鼻をつく。
 自分が今までと今現在、どういう行動をとっているかわからない。あるのは静寂、それしかわからない。
 つんざくような静寂の痛さに人差し指で耳穴を塞ぐ。一定のリズムで心音が刻まれるのを感じる。元から墨色した空に目を瞑り、黒を強める。眠気と共に流れる不思議な気持ちにゆらゆら揺らめく。
 気分は羊水に浮かぶ無垢な赤ん坊。
背後に騒めくは赤い背徳感。

 屋敷に帰ってからは全身を襲う倦怠感から、何かを始めようという気さえ起きはしなかった。取り敢えず自室に戻り、暑苦しい色のジャケットを脱ぎ捨てスラックスを寛げた。ブーツは自分で選んだくせして紐を解くのが面倒なのでそのまま。
 そして、剣をなげやりに枕元に寝かせ、獣のようなにおいのするベッドに転がり、死んだように眠った。

2011.09.18


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