Other

□はざま
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呑み込まれそうなほど広大で真っ青な空を背景に、着物姿の少女が目の前に立っていた。
いつも仲間――ルカ・アンジェローニやランカ・リーなど――と昼食をとったり、飛行訓練をする美星学園の屋上に、見知らぬ美しい少女はもの言わずにただ、伏し目がちにこちらを見つめている。
ミハエルは、その艶やかな濡れた鳶色の瞳に射ぬかれ、一歩も動けなくなる。
息をするにも、少女の視線が気になり、細く呼吸を繰り返すばかりだった。

(夢、なのか?)

頬に当たる冷たい風と、足裏に感じるコンクリートの硬さ。
どれをとっても、現実とはさして変わらぬものだった。
目の前の少女の視線は、じとりと粘り気をもち、恨みでもあるのか、口を真一文字に結んで、白い前歯で柔らかそうに震える、朱の入った下唇を噛んでいる。
目尻には散々泣いたのか、赤い擦った跡があった。
そこで、ミハエルは「しくじったか」という考えに至った。
彼は女性を泣かせる天才ではあるが、万能の神ではない。
万全を期していても、やはり不安なことはある。
そして、ミハエルはただの憧れも、心の底からの愛しているも素直に伝えきれない、そんな男だ。
それ故に、あちこちの女性に手を出しても、割り切った関係だからと安心してしまっていた。

(まさか、できちゃった、とか……は勘弁してくれよ)

その場かぎりの快楽に身を任せたことを今さら後悔しても仕方がない。
ミハエルは取り繕うために、遠慮がちに口を開いた。

「あの、さ。君の名前何ていうの? アリス先輩?リリィちゃん、だっけ?」

思い付くかぎり、関係を持った女性の名前を連ねた。
少女は視線はそのままに、目を見開き、眉尻を下げた。
そして、しどけない仕草で頭を弱々しく振り、絹のような黒髪を青白い肌に滑らした。

「ミシェル……」

「え?」

泣きの混じった声で呟いたのは、少女だった。
鈴を転がしたようによく通る透き通った声。
その低く凛とした発音を、エンジンの音にかき消されようと、聞き逃すことが出来ないのがミハエルの耳。
ミシェルとは、親しい人にだけにしか呼ばせない名前だ。
いくら関係を持った女性だからと言って、簡単に呼ばせることは絶対にしない。

「まさか、お前は……」

ミハエルが少女に詰め寄ろうとするが、その時には遅かった。
少女はフェンスをすり抜け、屋上の端に足をかける。ふらふらとおぼつかない足取りで綱渡りでもしているかのように後退り、白魚に似た細長い指をミハエルに向かって伸ばしていた。

「ミシェル、私のことを、忘れないで……」

そう言って、涙の粒が宙に舞い、少女は文字通り、天女のように空に呑み込まれた。


2011.4.7


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