「キスをしませんか?」

そう言われたのは西日がオレンジ色に部屋を染めている頃だった。
名実共に恋人同士というものになってから初めての休日。どこに行くかをいろいろ話し合って、それでもなかなか決まらなくて、それならもういっそのことお家デートにしようと言って二人で笑いあいながら決めた日だった。
出かけるわけでもないのにお洒落をして、この日のために二人で作ったクッキーをお茶受けにして、たくさんお喋りをした。付き合う前に一緒に見に行こうと約束して、でも忙しくって見られなかった映画を借りてきて、ようやく一緒に見ることができたねと笑いあったり。初めてのデートとしては上手くいった方ではないだろうか。
たくさん喋ってふとお互い無言になったときに、ミク姉が言ったのだ。

「キスをしませんか?」と。

そう言われたとき、初めてキスをしたときのことが頭の中によみがえってきた。

了承も何もない身勝手なキス。



初音ミクの妹として、あたしはそれなりに上手くやっていた。いろいろと比べられることはあったけれど、それでも歌うことは楽しかった。メイコやカイトやミクといった家族達ともそれなりに良い関係を築けていたし、レンとの関係ももちろん良好だった。
特にミク姉との関係は上手くいっていたと思う。年の近い同性のお友達、姉と言うよりそんな感覚に近かった。
レンを除いたら一番近くにいてくれたのがミク姉だった。分からないところも悩みも何でも相談できる親友みたいに思っていた。
ミク姉もあたしのことをそんな風に思ってくれているのだろう、そう思っていた。
実際にミク姉は本当に良い姉で親友だった。
けれど、日が経つにつれその関係に違和感を感じるようになってきた。違和感といっても悪いものではなかったと思う。ただ、姉や親友という言葉とは少し違う、別の温度を感じるようになったと言うべきだろうか。
あたしはそれが怖かった。その家族愛とは別の熱が何なのかを知るのが怖くて、目を必死にそらした。それはミク姉も同じだったのだろう、この頃から二人でいると独特の緊張感を持つようになっていた。

今思い返してみると、あれは明らかに恋の始まりだったのだ。
ミク姉のそばで感じる居心地の良さ、二人で歌っているときの高揚感、触れた指先にずっと残る熱。はじめは何ともなかったものが自分の知らないところでどんどん大きくなっていく。あたしはそれが怖くて目を逸らしていたから、ミク姉といるときの緊張感はどんどん膨らんでいった。
ミク姉も似たようなものだったのだろう、二人でいるときは沈黙が怖くて、とにかくはしゃいでいるふりをしてずっと喋っていた。
黙っていると熱だけが上がっていって、何か取り返しのつかないことをしてしまうんじゃないかと怖かった。だから、二人の間が熱で埋まらないようにバカみたいに話して、言葉でその熱を隠そうとしたのだ。
あたしもミク姉もそうやってこの熱から目を逸らしていた。
だって女の子同士だったから。これがレンやカイ兄ならここまで目を背けようとはしなかっただろう。
けれども、見えないように、決して表に出さないようにしていた分、恋心は温度を上げ、容量を増していった。膨れ上がった恋心はどうなるのか、決まっている決壊して溢れ出すのだ。

先に決壊したのはミク姉の方だった。
メイ姉とルカ姉は仕事に、カイ兄は夕飯の買い物に、レンはたぶん部屋でゲームでもしているのだろう、リビングにはあたしとミク姉の二人っきり。
ぴったりと身体が張り付くのは何かが違い、だからといって一人分間をあけて座るのもおかしく思えたので、半人分ほど間をあけてミク姉とソファに座っていた。ソファに座る、それだけのことをここまで意識していたのだから、あたしも恋心から目を逸らすのが限界にきていたのだろう。
あたしは沈黙が怖くていつものように喋りまくっていた。いつもだったらミク姉も同じように話しかけてくるのに、その日は違っていた。あたしがどんなに話しかけても気のない返事。じっと俯いて何かを考えているようで、それを邪魔していいのか悪いのか必死に考えながら話していたけれど、生返事ばかりが返ってきて次第にあたしも言葉が続かなくなってきた。
どうしたらいいのか分からなくなって視線を彷徨かせる。テレビはついているけれど、お互いに見ていないし、内容に興味もない。けれどこれを消してしまったときの静寂が怖くてつけっぱなしにしていた。窓の外は赤く染まっている。ああ、もう夕方なのか、そろそろカイ兄が帰ってくるだろうか?そうしたらこの息苦しさは終わるかな、そんなことを思っていたときに、くいっと肩を引かれた。
あたしとミク姉が微妙な関係になってからは無駄な接触は控えていたから驚いた。肩を引かれるままにミク姉の方を見たら、思っていた以上にミク姉の顔が近くにあって固まってしまう。
お互いの気持ちは何となく分かっていた。でも、あたしは女の子で、ミク姉も女の子で。顔が近づく。ぶつかりそうなほどの距離にきたときミク姉が目を閉じた。あたしは動けない。だってあたしはミク姉が好きで、でも女の子で……。唇に柔らかな感触。ミク姉の長い睫が震えるのが見えた。
唇が触れていた時間が長いのか短かったのかはよく分からない。気がついたらミク姉は離れていて、何もなかったかのように、そろそろお兄ちゃん帰ってくるね、と言った。それにそうだね、と返してあたしも何もないふりを装った。
いきなりの、了承もない身勝手なキス。
お互いに関係を壊すのを恐れてなかったことにしてしまったキス。
けれども、このキスからしばらくしてあたし達は付き合い始めた。特に好きだとかそんな言葉を交わしたわけではなかったけど、そっと手を伸ばせば自然に繋ぎあうようになったし、隣同士に座るときも身体を寄せあうようになった。
あのときのキスはなかったことにしてしまったけれど、でも確かにあたし達の関係に変化をもたらしたのだ。



そして今、ミク姉は「キスをしませんか」と言った。
あのときは言葉に出せず、了承のない身勝手なキスだった。
けれど、今度は違う。ミク姉はきちんとあたしの目を見てその言葉を言った。それは紛れもなく、初めての恋の告白。
それならば、あたしの答えは決まっている。

「はい、キスをいたしましょう」

ずっと言えなかった言葉。お互いの気持ちは分かっているからと甘えて言葉にしなかったこと。
ようやくできた初めての告白に安堵して口元がゆるんだ。
それはミク姉も同じだったようで、二人で笑いながら手を繋ぐ。そしてそっと顔を寄せた。今度はきちんとあたしも目を閉じる。唇に柔らかな感触と暖かな温度。少し触れては離れていくのがくすぐったくて、笑いが漏れる。じゃれつくように触れて、離れて、下唇を優しくはまれる。
本当に軽い触れあうだけのキス。今まで閉じこめていた熱を優しく触れあわせた。
ゆっくりと顔を話していくと、ほんの少しの寂しさとため息がでそうなほどの満足感。
視線を絡ませて笑いあう。
これからもこの熱はあたしの中で温度を上げていくのだろう。けれど、もう押さえ込む必要も隠すこともないのだ。言葉にしたくなったら声に乗せて、触れたくなったら手を伸ばして、素直に行動に移せばいい。
ミク姉はきっと受け入れてくれるし、あたしだって喜んで受け止める。
だから、ねえミク姉

「もう一度キスをしても良いですか?」






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