宝物

□あまいかおり
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「山本さん!」


後ろから俺を呼ぶ声がした。
誰が呼んだか、なんて、すぐにわかった。
ただそれは、俺が声の持ち主を特に意識しているとかそんなんじゃなく、ただ無意識の内に色々考えて判断しているから、である。
日本人の名前をこんなに綺麗に発音出来るのは日本人しかいない、とか、この声の高さならきっと女性であるだろう、とか。そう考えると俺を「山本さん」と呼ぶ日本人女性など、ここには数えるほどしかいないのだ。


「どうしたんだ?」

「どうしたんだ、じゃありません。またサボってますね」


声の持ち主は俺の予想通り、俺の部下である彼女だった。彼女は小走りで俺の横に並ぶと、腕の中にある重そうな書類の束をよいしょ、と持ち直した。そのまま俺たちはゆっくりと歩き出す。


「山本さんに目を通してもらわないと終わらない書類はまだ山ほどあるんですよ。廊下をほっつき歩いてる暇があるんでしたら少しは机に向かったらどうですか?まったく…」


歩きながら俺に説教をする彼女を見て、なかなかしっかりした部下を持ったな、と思った。恐らく俺がこんなだからツナあたりが気をきかせて彼女を俺の部下にしたのだろう。全く、俺はどれだけ頼りない上司なんだ、と思い、声を出さずに笑った。
だが隣で俺の説教をする彼女は「何笑ってんですか」と言いたげな目でこちらを睨んでいた。しまった、見られていたか。


「まぁまぁ、んな怒んなって」

「怒らせてるのは誰ですかね?」

「あ、牛乳飲むか?イライラはカルシウム不足だぜ」

「からかわないでください!牛乳なんていりません!」


宥めるつもりが余計に怒らせてしまったようだ。さて、どうするかな、とポケットに手を突っ込むと、ふと手にかする物。俺はそれをポケットから取り出した。ああ、さっきランボにもらったんだっけ。
俺は彼女の腕に抱えられた書類の束をひょいと取り上げた。彼女が何か言う前に、その空いた手に先ほどポケットから取り出した物をポンと置く。


「牛乳がダメならこれだな」

「……アメ?」


疲れている時は甘いものがいいとかなんとか言われてランボに渡されたものだ。アイツ、いくつになってもブドウの飴が好きなのか、渡されたのもブドウ味だった。


「…ありがとうございます」

「お、アメ好きなのか?」

「別に、嫌いじゃないです」


素っ気なく返事をしながら彼女はアメの封を切って口の中に放り込んだ。コロン。きっと歯と飴がぶつかったのだろう。小さな音がした。飴を口に含んだまま彼女は次の仕事があるので、と俺の進路とは逆方向へ行くと言った。


「それ、今日中に目を通してボスのところへ届けてくださいね」


失礼します、と頭を下げた彼女から甘いブドウの香りがした。
俺は彼女の後ろ姿を見送って、ハッとする。彼女の去り際の言葉。「それ」?
俺の腕の中には、飴と引き換えに彼女から取り上げた書類の束。


「…マジかよ?」


…流石に苦笑するしかなかった。

彼女が残して行ったのは、甘い香りと、大量の仕事。


あまいかおり


(はは、やべー終わらねー!)
(笑ってる場合ですか?)





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