御礼夢

□I'm home!
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すごく今更なことを言うようだけれど、幸せとは日常の些細な出来事一つ一つのことなのだと俺は思う。だが日常であるが故に人は自分の幸せに気が付けない。
その点で言えば、俺は普通の人よりも幸せを感じやすい立場であると言えるかもしれない。現に、ほら。


「ただいま」
「おかえりっ」


玄関に入るや否や部屋の奥からせわしなくやってきて、彼女は俺の首に腕を絡ませる。
この瞬間がたまらなく好きなんだ。俺が「幸せだ!」と胸を張って言える瞬間。


「今日帰ってくるって聞いて朝から用意してたんだよ!」
「ハハ、昼過ぎになるって言っておいたのに。せっかちなのなー」
「だって〜」


月に一回あるかないかの幸せの瞬間を噛みしめ、しばらくして俺はようやく靴を脱いだ。
いくら結婚してるとはいえマフィアに休日なんてほぼ無いに等しい。今日彼女と会ったのも久々だった。けれど彼女はいつもと変わらぬ笑顔で迎え入れてくれる。
きっと寂しかっただろうがそんな素振りは全く見せない。


「ご飯もう用意できるけど、食べる?」
「おおー、頼むわ」


その場でジャケットを脱いで私服に着替えながら返事をする。自室に行かないのは、なるべくアイツの顔の見えるところにいたいから。アイツにしたらいい迷惑かもな。
だがYシャツを脱ぎ終えTシャツに手をかけようとした時だった。ふと顔を上げると、彼女がこちらを見つめていたのだ。わざわざ食事の支度の手を休めてまで。


「なんだ、どうした?」


さすがにマジマジと見られると恥ずかしい。俺が苦笑いすると彼女はハッと我に返り、ごめんと呟いた。
その表情が少し強張っていたのに気づいた俺は、彼女に近寄りサッと頭を撫でてやった。


「どうした?」


もう一度そっと囁くと今度は彼女が苦笑いをした。「ちょっと見とれてただけ」と困った顔で首を振りながら。
だが俺は気付いちまったんだ、彼女の視線が一瞬だけ俺の腕の刃物傷に注がれていたことに。

傷に気付かないふりをするその表情に俺は、何だか自分が悪いことをしているような自己嫌悪に駆られた。

当然だよな。奥さんほったらかしで仕事して、今までだって散々心配かけただろうに。それでも彼女はいつも、文句の一つも言わないでこうして待っていてくれる。俺が彼女に伝えるべき言葉は「ありがとう」より「ごめん」だと思うんだ。

でも今更謝ったってお前は許してくれないよな。「何のこと?」って、きっと笑うんだろ?


「ねえ、武……私ね、謝らなきゃいけないことがあるの」
「ん?」
「この前、武の休暇が一週間延びたことあったでしょ?」


彼女が突然妙なことを言い目線を落とした。俺はしっかりと耳を傾け、彼女の目を見た。


「いつもならへっちゃらだったのに、私あの時だけ泣いちゃったの。何でかわからないけど、武のことがすごく憎くなっちゃって……それで――電話切った後で『バカ、死んじゃえ』って、言っちゃったの」


彼女の瞳からボロッと大粒の涙がこぼれた。


「言った後すぐに後悔した。そんなこと思ってるわけないのに、口に出したら急に不安になって、本当に武が死んじゃったらどうしようって――」


思わず彼女の頭を自分の胸に押しつけた。というより、彼女の方が先に腕を伸ばしてきた。
こうして弱音を吐くこともせず、ずっと我慢してたんだよな。俺なんかよりずっと強いじゃんかよ。
「ごめんな」と俺が何度も呟くと、彼女は顔を上げてしきりに首を振った。


「だから武の『ただいま』って声が聞こえて私また泣きそうになったの。幸せってこういうことを言うんだなって実感した」
「へ……?」
「武の『ただいま』が私の幸せだよ」


言った瞬間から、彼女の泣き顔は笑顔に変わった。反対に俺は無性に泣きたくなって、また彼女を抱きしめた。
そうか、俺の伝えるべき言葉は「ありがとう」でも「ごめんね」でもなかったんだな。


わかったよ。
お前が望むなら、俺はこの先も一生「ただいま」を言い続けるよ。
それがお前の言う「幸せ」だというのならば、俺は何があってもここへ帰ってくるよ。


そう呟きながら俺は、無意識に彼女を包む腕の力を強めていった。
彼女の思いを自分に刻み込むように。この誓いを二度と忘れないように。









I'm home!

お前の「おかえり」が、俺の幸せでもあるんだからな?




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