御礼夢

□餞逢瀬
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「言っただろ、今日はお前のための日だ。お前が楽しまなきゃ俺様の努力も報われねぇからな」
「そっか……そうだよね」


なんだろう、これ。綺麗な夜景?それとも観覧車の個室感?もしくは隣りにあるぬくもりのせい?
妙な空間に酔いしれてしまった私は寝ぼけたように彼の腕にまで自身の腕を絡ませる。


「どうした?いつになく積極的じゃねぇか」
「なんか、人肌恋しくて」
「帰るのが嫌になったか」
「そうかも。帰ったら勉強しなきゃだもん」


これはちょっとだけ本音。


「跡部君……私ね、」


――受験したくない。同じ高校に行きたい――

喉の奥から飛び出しかけた声に、私は思わず自分の首を両手で押さえた。咄嗟に触れた首元はエアコンの聞いた観覧車の中では不自然なくらいに熱をもっていた。
その様子にも取り乱さない彼は、まるで私の心を見透かすかのような眼差しを静かに送っていた。空虚だけど穏やかで、私から溢れる見えない感情を全て受け入れてくれるような、そんな世界が広がっていた。


「……キス、したいなぁ」


安心して涙が出てしまった。
けれど私の頬が濡れている理由も何もかも、跡部君はわかっていたのだろうか。彼の大きな掌が頭を撫でるのと同時に、唇にやさしい感触が広がった。ああ、励ましてくれてるんだなぁって思えるようなあたたかいキスだった。気の遠くなるような長い時間をかけて唇を唇で慰められているような気がした。「勉強したい」と「彼と一緒にいたい」というずっと心にキリキリとつっかえていた不安や葛藤の痛みがスーッと和らいでいくのを感じ、私は嬉しくて切なくてまた泣いた。


「……」
「もう泣くな」
「うん」
「俺はここにいる」
「うん」
「お前も誰にも負けんじゃねぇぞ」
「うん」


唇を放すと頭が跡部君の胸にストンと落ちて、そのまま彼の両腕がめいっぱい私を抱きしめてくれた。「誰にも負けるな」という彼の言葉が私への最高の励ましなんじゃないかな。彼の言葉はまっすぐで力強くて、彼がいつも放つエネルギーと同じだった。その言葉を心の底の底までに染み込ませるように、私は彼の背中をギュッと抱きしめた。






観覧車を降りた私たちを向かえていたのは暗闇だった。夕焼けがすっかり沈みきった夜の海は真黒だけど、なんとなく綺麗に思えた。


「もう夜か。じゃあそろそろ――」
「今夜のホテルを予約するってか?」
「は?」


跡部君の予想外の言葉にポカンと口を開けてしまった。思わず携帯で時刻表を調べていた手も止まる。いまいちつかめていない私を跡部君は嘲るように不敵な笑みを浮かべた。


「さっき帰りたくないとか言ってたのはどこのどいつだ。アーン?」
「いや、もういいです。帰りたくなりました」
「今更赤面しやがって。可愛いとこあんじゃねぇか」
「してないよ!ほら行こうよもぉ」


頑なに帰ろうとする私の行動を照れているんだと思ったらしいが、だったらそれでいい。とりあえずそれっぽい場所へ行かなければ危険なことはないはずだ。なにせ崇高なエロスだからこの人は。
でも私が意地でも帰ろうとするのが不服だったのか、フンとつまらなそうに伏し目になっている彼はまるで不貞腐れた子供のようだった。どこが王者?どこが崇高?なんて問いが頭に浮かんで、私は思わず吹き出してしまった。


さっき口にしかけた本音のような嘘は捨ててしまおう。私が後ろを向いたってそこには何もないのだから。
私が探している人はむしろもっともっと前を歩いていて、私には見えずとも彼には私が見えていて、後ろを向いたり休んだりしていると厳しい罵声を浴びせてくるんだ。その人の隣りにいくために、今は1人で足元の一歩を確実に踏みきろう。そうすればその人に追いついた時に、手をつないで一緒に歩けるんじゃないかな。

そんなことを思いながら嫌がる跡部君の手を握り、私は駅のホームの階段を上ったのだった。








20130225

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