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□太鼓
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さっきまであんなにうるさかった軽音部の教室。
今は私一人だけの溜め息を薄っぺらい防音の壁が吸収していくばかり。
太鼓
教室の角っこにセッティングされているドラムセット。
そのドラムセットの一番大きな太鼓に腰掛けて、またもう一つ溜め息を漏らした。
「はぁぁ」
恋、かなぁ。
恋だよなぁこれって…。
さっきまで彼が叩いていたその楽器に触れてこんなにもドキドキしてるなんて。
私が毎日こうやってこの一番大きな太鼓に座ってあなたのこと想ってるなんて、絶対知らないよね、てか知られちゃまずいの。だって変態っぽいし…
ふぅ、と小さく息を吐き出して目を閉じると、たちまち脳内を支配する彼の笑顔。
いくつもいくつもその笑顔が入れ替わる。これは私の中に保存された“脳内さとちアルバム”なのだ。
目を閉じたまま脳内アルバムのページを捲る。かっこいいな、あ、あれは可愛い。気付くとニヤニヤしてる自分に呆れちゃう。
それくらい、好き。
好きって言えたらどんなにラクかな。
あの笑顔が私だけに向けられているのだとしたらどんなに幸せかな。
心臓が一度、ぎゅうと音をたてて収縮した。
アルバム観賞はここまで、と無言の警告。脳内でアルバムをパタンと閉じた。
そろそろ帰ろうかと目を開ける直前。
廊下をバタバタと走る音。そして大きな独り言。
『やっべーやっべー忘れもん!!』
!!!
うわ、さとちの声だ!
どうしようどうしようどうしよう!!
考える暇もなく思いっきり開けられたドア。
咄嗟にとった行動は勿論寝たふり。
『あーっぶねぇ、スティック忘れちったよ練習しねーとみあくんこえーしなぁー!!……って、あれ?』
さとちの盛大な独り言に早くも吹き出しそうな私。やばい。
『名無しさんでねーの、え、寝てる?』
「…」
『うっそ、マジ寝?えぇ、てかなんでバスドラの上で!?』
「…」
『おーい、名無しさん起きろー、風邪ひいても俺知らねーべよ?…って置いてくわけにもいかねーよな、もう下校時刻だし』
どーすっぺ…と延々独り言を繰り返すさとちが可愛くてしょうがない。でもちょっと困らせてるよね、そろそろ起きてみようかな…
すると、さっきまでがさごそ何かしてたさとちの音が、急になくなった。
ふと、近くに感じる気配。その気配はあたたかい空気で、妙にドキドキした。
バスドラが少し揺れて、床に座ったらしいさとちの音。
ハイソックス越しに伝わる彼の肩の体温と、スカートからでている太ももにふわっとあたる髪の毛。
こんな至近距離に座るなんてズルい。
完全に起きるタイミングを逃した私はこのドキドキに耐えられる自信がない。
『うーん…うーん…』
下からさとちのうなり声。しばらく、うーん、と唸った後、こう言った。
『寝てんだもんな、だいじだいじ、』
え、何が?
『あー、もう、ごめんほんとごめん、』
控え目にパンパンと手をたたき謝った後(お賽銭じゃあるまいし)、名無しさん、ぜってー起きねーで…そう言って、
ちゅ、
太ももにキス。
ちゅ、ちゅ、となんども繰り返されて、私の理性がもう限界。
下半身にキスなんて、反則だよ…
もっとキスしてほしい、もっと触ってほしいなんて、やばいかな?
『あ゛ーっ……やべー…俺変態だ…』
「…」
『…唇はまじぃよな、さすがにな、落ち着こう、うん』
そう言いながらもさとちの手はついに私の太ももに添えられて、それは徐々に上にあがってきて、なんだかむずむずしてきて心臓もやばくってなんとなくさとちの気持ちも読み取れて少し自惚れちゃってあぁぁぁあ、もう無理、無理無理、
「さ、とち…?」
寝ぼけたふりして目を開けた。
一瞬、私を見上げて固まったさとち。
ハッ!と、咄嗟に離れた大きな手は行き場を無くして宙を泳いでいる。
『お、お、おおおおおはようっ!!』
さとちは苦し紛れにおはようの挨拶。畜生、可愛すぎる。
「おはよ、」
『おはよー、…』
「さとち、なにしてんの?てかなんでそこに座り込んでんの?」
『え、あ、あの……あっ!お、おめーがそこ座ってっから!!そこ俺の特等席だし』
「あ、そーなの?ごめん」
『いや、いーけど、名無しさんこそなしてそんなとこで寝てたんだよ』
「…」
『なぁ、なして?』
「……、寝てなんかないよ?」
『……』
少し微笑んで見せると、鳩が豆鉄砲くらったような顔でしばらくぽかーんとしてたさとちは、急に真っ赤になって、嘘だろオイ、と胡座をかいてうなだれた。
『あ゛ーーーー!!もぅだめだぁぁー!!』
そう言って、ゴロンと仰向けに寝転がり腕で目を覆う。
少しの沈黙の後、
『すんげー、おめーのことすきだ…』
力なく告げられた想いはなんだか悲しそうで、空中でぼわっと消えた。
うつ伏せになって足をジタバタさせながら、
『あーあ、やっちまったなー!!なぁ、今さっきのこと、忘れて、頼むから!明日からまたいつも通り友達でいてな?』
がばりと起き上がって見せた笑顔は、脳内アルバムにはない、とても悲しそうな笑顔。
私が見たいのはこれじゃないよ。
私が好きになった笑顔はこれじゃないよ。
想いを伝えよう。
私も。
バスドラの上に立って、さとちを見下ろす。
「ばーかばーか!」
『な、なんだっぺ!』
「嫌だったら寝たふりなんてしないでしょ、普通」
『え、えぇ、なして!?どゆこと!?』
「嬉しい…からにきまってるでしょ?さとち、?」
『ん?』
「すきだよ」
みるみるまた真っ赤になるさとちは髪の毛ぐちゃぐちゃかき回して、まじかーー!!と叫んだ。
うん、と返すとバスドラの上に立った私の腰に抱きついて、
『やべー、なんだこれ、両想いってこんなに幸せなん!?』
「ふふ」
『あー、名無しさんやらけー、』
「えっち」
『しゃーねえべ、よっっこいしょっ!』
「わぁっ!!」
急に視界が反転したかと思えばふわりとして目の前にさとちの顔。
バスドラに腰掛けたさとちの腕の中、あれ?お姫様だっこだ。
座った時にさとちのかかとが当たったのだろう、バスドラがドドン、と響いて私の心臓の音とシンクロした。
オレンジ色に染まった教室、初キスの場所は一番大きな太鼓の上。
end.