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□叫ぶ名前
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君のなんでもないような独り言だって、俺はいつも気にかけてるよ。
それは他の誰でもない、君、だから。
叫ぶ名前
ライブ後の打ち上げもおひらきになり、ぞろぞろと全員が店の外に出ると既に遠くの空が明るくなり始めていた。
すぅっ、と澄んだ空気が首筋を通り抜けてアルコールで火照った顔がひんやりとして気持ち良い。
無意識だけどいつも自分の隣に名無しさんがちゃんといるかどうか確かめている。
…って今気付いたんだけどね。
大勢の場ではとくに不安。でも、彼女はそんな俺の心を知ってか知らずか、お互いの服が触れる位置に居てくれる。
決して甘すぎない、そんな位置が絶妙で好き。
後ろで手を組んだままゆらゆらと体を揺らして彼女をこつけば、彼女も同じように一定の揺れで俺に触れた。
ちら、と目だけで頭一個分下にいる名無しさんを見ると楽しそうな鼻歌が聴こえて思わず頬が緩む。
愛しいな、単純にそう思う。
「おめーらはほんっとほのぼのさんだなぁー!」
そんな俺と名無しさんを見てさとちが大きな声で言った。
「名無しさんちゃんはゆっけの彼女ーって感じだし、ゆっけは名無しさんちゃんの彼氏ーって感じ!」
「なにそれ」
「お似合いってことだっぺよ!」
酔っ払って調子いいこと言ってるってわかってても嬉しい。ありがと、そう言うとホントのことだっぺ!と歯を見せて笑った。そしてその直後、さとちは息を思いっきり吸い込んだかと思えば、
「おーい、名無しさんーーー!!そろそろ帰っぺーーー!!」
と、目が覚めるくらいの大声で彼女を呼んだ。
はーい、とスタッフさんに会釈しながらさとちの前まで小走りしてきた彼女さん。
「ちょっとー、恥ずかしいからあんな大声で叫ばないでよっ!」
「いいでねーの!」
「いくないっ!」
「わりぃわりぃ、んじゃ帰んべ」
文句を言いながらもさとちに頭をぽんぽんされて嬉しそうな彼女さん。
あぁ、そっちこそお似合いカップルじゃん。なんて微笑ましい光景…
二人の遠のく背中を眺めながら、俺たちも帰ろっか、と言おうとした時。
ぽつり、彼女がこう言った。
「なんかいいなぁー…」
「ん?」
「え?」
「何がいい、って?」
「あぁ、なんでもないよ?」
「独り言は本音がでるんだからね?…気になる」
「…ゆっけってさ、あんまり呼んでくんないよね、名前」
「そー…かな、そー……だ、ね」
「…ゆっけ、帰ろー?」
たしかによくよく考えてみれば、ちょっと、とか、ねぇ、とかいつも曖昧だったかもなぁ。
名前…かぁ。
先にすたすた歩いて行ってしまった名無しさんを見る。
かすかにさっきと同じ鼻歌が聴こえてきたけれど、きっとこれは本音を言ってしまった後悔をかき消すため。
じわじわとまた体の中心から愛しさが込み上げてきた。普段言わないおねだりだもんな、よし。
すぅ、と大きく息を吸い込んで…
「名無しさんーーーっ!!」
叫んだ。
はぁ、こんな大声、自分でもびっくり。
名無しさんはその場でピタッと止まったまま。
周りのメンバーやスタッフは一斉に俺を見る。
えーと、えーー、と。
呼んだはいいけどこのあとなんて言うか考えてなかった!えーい、なんでもいいか、
「今日、泊めてーーー?」
一瞬、時が止まって、次の瞬間爆笑の渦。
名無しさんは振り返って、片手でおでこを押さえてあちゃー、のジェスチャー。
逹瑯に「福野くんやらしー!」と茶化されて、しまった、と今更後悔。
ちらりと3メートル先の名無しさんを見やると目が合った。やべー何言われるの俺、とかまえていると、
「馬鹿優介」
と名無しさんは顔を真っ赤にして右手を差し出し、はやく、と唇だけを動かした。
その手がポケットに引っ込んでしまわないうちに俺の左手で握ってあげなきゃ。
小走りで彼女のもとまで行ってぎゅうと手を握りしめ、イタズラ心からもう一度照れた顔が見たくて「さむいね、」とからかって覗き込んでやる。
直後、予想外の反撃を受ける事になるのは、そう、俺だ。
ちゅ、とほっぺたに冷たくて柔らかい感触。
ぶぁっと顔中が熱くなって、思わずよろけてしまったヘタレな俺。
「おいゆうじしっかりしろー!ぎゃははっ!」
としつこく茶化してくる逹瑯の声も今は右から左だ。
あぁ、俺が名無しさんの心、気持ちごと持ってくはずだったのにな、これじゃ逆だ。まぁいっか、そう思っていたら、
「あー、久々にドキッとした!」
と彼女の弾んだ声。
「嬉しかったよ、ありがと。」
そう言って、俺の左手をまた少し強く握った。
もうすぐ太陽が顔を出す。
お互いに口ずさむ鼻歌は今日一番の照れ隠し。
end.