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□眼鏡
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「なぁ」
『なに?』
「それ、邪魔じゃねーの?」
『それってどれよ、』
「……眼鏡」


安くて広いけど借りられる機材が恐ろしくボロいというスタジオからの帰り道。


唐突な質問は、
卒業ライブを明日に控えた矢口から投げ掛けられた。



―――眼鏡



私の必需品は眼鏡だ。


『邪魔じゃないけど、なんで?』
「……いや、なんでっつーか、」


ソフトケースに入ったギターを担ぐ彼は、さながらランドセルと小学一年生のようで微笑ましい。


「だってお前いつから眼鏡かけ始めたよ?俺覚えてねーんだけど」
『覚えてなくていーよ』


だって、私、
視力悪くないもん。
ダテメだもんこれ。


『矢口だって眼鏡かけるじゃん』
「そりゃ……かけるけどよ」



私は知っている、

この矢口というこの恋人は

鈍感だという事を。



色が違うだけであなたの持ってる眼鏡と同じなんですけどね、この眼鏡。



「……や、ちげーよ、」
『なにが!』
「お前、女のくせに暴れるの好きだろ、ライブ」
『好きだよ、だから?』
「……邪魔じゃねーの?」



私の必需品は眼鏡だ。


何故ならば、
彼の事が好き過ぎるからだ。



『邪魔じゃないよ』



眼鏡は大切だよ、必要だよ。
矢口の隣を歩くには。
矢口の姿を捉えるには。


眼鏡のレンズというフィルターを通して間接的に見ないと。
これは絶対。


じゃないと


動悸・眩暈・息切れ等に見舞われてしまうのだから……!


そんな突発的な症状に見舞われるなんてバレたら。


私が矢口を、
痛いくらい好きなの


バレちゃうじゃん。


知らないだろうけどね、
私は矢口が思う以上に矢口が好きで、
言っちゃえば、
私は、私が思う以上に矢口が好きなんだから!


私は湾曲したプラスチックごしにじゃないと矢口を直視出来ないから、
だから眼鏡は私の必需品なのだ。



「ふーん……邪魔じゃねーんだ、なら明日も眼鏡か、」
『そだよ』
「あー……明日かー」
『おー、明日だねー、ゆっけとか真っ赤になりそう!』
「あいつプレッシャーによえーから(笑)」



明日でこんな、
あぜ道通学みたいなことをしてスタジオに通ったりすることはなくなる。
この地で
矢口がギターを持ってステージに上がるのは、明日が過ぎれば当分先だ。



春になったら忙しくなるね。
当たり前だけど中距離恋愛になるのかな。


そうか。


私はもう、毎日眼鏡をかける必要はなくなるんだ。


眼鏡をかけない日が増えるなんて、



私にはまだ信じられないよ。



『矢口、明日ミスっちゃダメだかんね!』
「お前は開演までは手伝えよ!」
『へーへー』
「わー……うぜえ(笑)」



眼鏡はフィルターなのに。

眼鏡が2人の物理的距離を計るバロメータだなんて。



矢口の後ろ姿が見えなくなる。


私は眼鏡を外した。


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