龍は雲に従う

□第一章〜巨椋池に潜むもの〜
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今宵の巨椋池(おぐらいけ)も闇の静寂(しじま)に揺蕩(たゆた)う。




人が巨椋池と言えば平安京の南に存在するススキ野原、その中心に位置する巨大な池を指す。海から離れた都を隔てたしかし近隣の住民達はススキ野原まで含めてそう呼んだ。
巨椋池は「池」と名指されているもののその規模は「湖」に等しい。見渡す限りの広大な水辺を湛え、時折顔を覗かせる大地に背の高い葦が群生している。

琵琶湖から流れを作る宇治(うじ)川、京都盆地西端の木津(きづ)川、桂(かつら)川が合わさり日本一の支流を持つ淀(よど)川となる。
その合流地点こそが、この巨椋池なのである。

穏やかな水辺に生物は自然と集まるもので、三川の合流地点ともなればそこが生物の宝庫となる事は当然の理である。
日が昇れば鴨や魚の群れが水辺の葦や虫を漁り、それを求めて人間も船を漕ぎ出してくる。美しい蓮が咲くことで高名であり、蓮見に貴族が訪れることも珍しくはない。
鳥獣のざわめきに漁の掛け声、雅人の談笑。真昼時ともなればその喧騒は都の一角にも引けをとらないであろう。

しかし日が傾き夕暮れを迎えれば、全ては帰路につき湿地はたちまち人気を失う。水辺特有の気温の低下に伴うように、喧騒が静謐へと変わっていく。

草木も寝静まる丑の刻。
水面には魚の影さえ映らない。人気がないため篝火さえ灯らない闇を半月の光だけが湖面を穏やかに照らしている。
緩い風で水鏡に映る月が揺らぎ、背の高い葦やススキがざわめく。さざ波と草花が触れ合う音だけが夜陰に流されていく。

静寂という名の音が、その世界を掌握していた。
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