小説
□『桃』 いち
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その日は珍しく、早朝に平清盛に呼ばれた。
部屋の前に行き、正座をしてがらりと障子を開く。
中には朝餉を終えたばかりの清盛がその傍らに妻である尼御前を座らせていた。
特に珍しい光景ではないのだが、普段は将臣を呼び、その後に居るだけに過ぎない己がたった一人で呼ばれた事に雅は内心首を傾げつつも「失礼します」と頭を下げ、許可が下りたところで立ち上がり二人の前に着くとまた正座をし、頭を下げた。
「この度はどのようなご用件で御座いましょうか」
「うむ。その前に頭を上げよ」
開いていた扇子を閉じ、上げるよう言うと雅は返事をし、ゆっくりと頭を上げた。
相変わらずの金色の衣装に、背中の蝶の羽をモチーフした飾り。
その幼い顔立ちは尼御前の夫というよりも帝の兄のように見えてしまう。
「さて、雅」
閉じていた扇子を勢いよく開き、口元に沿え。
「主らは夕刻、ここを去るのじゃろう」
確かに、京の夕方から暫し雅は将臣や知盛と共に向かう場所がある。
今後の平家の事を考えた上では決して重要となる人物ではないのだが、用心に越した事はないだろうという将臣の判断だ。
「長い旅になるだろう…」
ふと、空気が微妙に変化したのを肌で感じる。
重くなった、という訳ではなく、嫌な予感がするとでも言っておこう。
口元は扇子により隠されているが、清盛が笑っているように見えた。
尼御前は相変わらずの表情の為、気のせいとも言えるのだが。
「如いてはこの桃を、渡しておこう」
「桃、ですか……?」
何処から出したのか、尼御前が包みを清盛の前に出し、緩く結ばれた紐を清盛が解く。
中からは四つのスモモ程度の大きさしかない果物があった。
これを桃というならばかなり未熟だろうが、それでも色はほんのりと頬を染めた程の赤みはある。
「これは伍桃というものでな」
「ゴトウ、…ですか?」
「うむ。美味故、是非とも旅の途中に食すが良い」
嫌な予感は更に強まったが、用は済んだと言わんばかりの雰囲気も同時に置き、謝礼を述べて部屋を後にした。
「……これは好意、なんだよ…な?」
誰にでもなく、不安を掻き消す為に呟いた。