首無騎士_長編

□有限図書館_01
1ページ/1ページ




 記憶とは白いノートに文字を綴るのと同じである。
 1枚1枚重ね、積もった結果が今までの人生で。
 古く黄ばんだ紙の物は曖昧に。

 脳内は図書館だと言ったのは誰だろうか。
 1つに括っては本に、自分だけの図書館を作り上げる。
 本来ならば管理人である自分以外何者も立ち入る事の出来ぬ空間。
 だのに時として、不穏な影が見え隠れし。
 そして倒して行くのだ、本棚を次々と。
 崩れる本。散らばる紙。


 ――ああ、拡散し混ざり合う記憶。
 棚を失った本は。納まる場所を失った紙は……―――









「――………」


 耳に届く音は車のエンジン音。カーテンの隙間を抜って差し込む光に目を細める。
 首を横に向ければ小さな目覚まし時計。短針と長針は書かれた数字の11と12を指し、今が昼の11時だと教えた。
 起きたばかりで出た欠伸に大きく口を広げ、上半身を起こす。
 はらりと目に掛かる髪を手で退け、きょろりと部屋を見回して。ふと聞こえた高い音に反応する。
 ピンポーン、と幾度も鳴らされるそれに、ぁあ、呼んでいるのかとベッドから下り、小走りで音が聞こえて来る方に向かった。







「――記憶喪失…?」
『簡単に言うとね』


 昼間の仕事を終え、自室と仕事場を兼ね備えた部屋に戻ると中学時代からの腐れ縁から着信が1つ。
 ギシリと椅子に座ってから電話をすれば、3コールで相手は出て。
 何やら急用とは思っていたが。


「あのシズちゃんが」


 高校で出会い、未だに犬猿の仲と言われる平和島静雄が記憶喪失だと言われた。
 最初に出て来た言葉は「まさか」次に出たのは「何故自分に教えるのか」
 電話の相手――岸谷新羅は自分、折原臨也と平和島静雄が互いを殺そうとしている関係だと知っている筈だ。
 ならばこの情報を知った自分がどう行動するかも。
 問えばしかし、沈黙が返って来て。
 「新羅」と名を呼べば、重たい口を開くのだと言わんばかりに低い声が電話越しに聞こえて来た。


「簡単に済む問題なら教える訳ないだろ……」
「………」


 それはつまり、どういう事だろうか。
 沈黙で問えば、彼は「来れば解る」と答えた。しかし生憎と夜にも仕事が入っていて。


「なら、時間が出来たら来て欲しい」
「どうしても?」
「……臨也、静雄の記憶喪失は君が思っているような一般的なものとは違うんだよ」


 プツリ、と意味深な言葉を残して電話は切られる。
 暫くの間、携帯のディスプレイを見つめ、臨也は閉じた。
 くだらない、その一言で終わらせられると分かっていながら臨也はもう1つの携帯へ手を伸ばし、新羅ではない別の名前へと電話する。


(好都合だから、するだけだ……)


 誰も問わず、答えなど求めていないというのに、まるで自分へ言い聞かせるかのように臨也は内心、吐き捨てるように呟いた。






 玄関のチャイムが鳴ったのは、夜が更けた午後の9時を少し過ぎた頃。
 はい、と白衣を着た青年――新羅は玄関を開ける。


「まだ仕事じゃないのかい?」
「…少し早く終っただけだよ」


 まるで夜の黒に紛れるよう全身黒い服を身に纏った来訪者はそう新羅の言葉に返すと部屋へ入っていく。
 それに対して軽く溜息をつきつつ新羅は追い掛け、2人はリビングに入る。
 大きめのテレビはドラマを放送し、向かい合うように置かれた長いソファには首の無い人――デュラハンと呼ばれるアイルランドの妖精という女性――セルティがいた。
 新羅と2人きりの時は身に被っていないらしいが訪問者や客人が来た際には被っている筈のヘルメットがない。
 そして彼女以外リビングには人影が無かった。
 無言で後ろを振り向き、問えば風呂だと返されて。


「なんだ、生活に支障はないんだ」


 一般的な記憶喪失ではないと聞いて期待していたのに、と嫌味を込めれば何故か首から上の存在しないセルティに睨まれたような気がした。
 両手を挙げ、まるで降参のようにしていると後ろから新羅の溜息が聞こえる。
 説明の為にソファへ座る事を勧められる。先程入浴したばかりだというし、烏の行水でもない限り簡単な説明ぐらい出来るだろう、と。
 淹れられたコーヒーには口をつけず、テレビは付けたまま。


「簡単にいうと、静雄は僕やセルティ、君の名前は覚えてる」


 生活に関する事もまた、記憶はきちんとされている。
 説明は始まったばかりであったが、早速臨也には疑問が浮かぶ。それは記憶喪失とは言わないのでないか、と。
 それが顔に出ていたらしく、新羅は昼間の説明に対して多少の謝罪をした。


「正しくは記憶喪失ではなく、記憶障害。欠落、とでもいうのかな」
「……? 生活の事とか、覚えてるんだろ?」
「そう。覚えているんだ」


 やはり意味が分からない、と眉間に皺を寄せていると、ふと、違和感を覚える。
 何故、新羅は繰り返し、強調したのだろうか。覚えている、と。
 つまりその記憶している事に関して何か欠落という表現を使わざるを得ない状態で。
 しかし人間の記憶とは曖昧であり、欠落というものは当たり前の事である。
 例えば一部分の過去の出来事だけすっぽり欠けていれば欠落とも言うだろうが、それ以外はあまりその表現方法はしないだろう。
 顔を上げればどうやら臨也の脳内で何かしらの整理が行われるのを待っていたとでもいう表情。
 続きを求めれば新羅は欠落の答えを言った。


「キーワードしか覚えてないんだ」


 キーワード。それは内容を検索する為に必要なもので。
 臨也は真剣に考えている自分を聊か馬鹿に思いながらも、答えの意味を考えた。


「名前イコール…キーワードか」
「はははっ! 流石は臨也だ。私もどう説明すればいいのか悩んでいたから君の回転の速さには助かるよ」


 馬鹿にしているのではなく、素直に述べた感想だろう。だからこそ、臨也は苛立つ事はない。
 これが新羅のような奇天烈な人間ではなく、嫌味の如く言う人間ならば容赦なく何かしらの手を打っただろう。
 現在の中心にいる平和島静雄はきっと、その場でその人間を殴るか投げるか行動するだろう。
 湯気が幾分消えてきた頃、マグカップに手を伸ばしコーヒーを口に含む。ブラックでも良かったが、どうやら少々砂糖が入っているようだ。

 こつりとマグカップを置くと、臨也は次の質問をする。
 ならばどうやって彼――平和島静雄は此処に来られたのか、と。
 するとこの場には居ない人物の名前が出た。田中トムという、静雄の仕事上の上司だ。
 仕事場に来ない静雄を心配したトムが部屋に行き、――まるで死体のようだが――第一発見者となった。
 詳しい詳細は分からぬが、静雄に違和感でも感じたのだろう。
 共に居る事が多いので、静雄がよく行く医者…つまり新羅の名前も当然知っていた彼は静雄の携帯を使い、連絡を取ったそうだ。


「ふうん…。それで? 運ばれて来たシズちゃんの反応は?」
「まあ、記憶障害じゃないかっていうのは田中さんから聞いていたからね、俺の名前を紹介した」
「知ってる、って答えた訳か……」
「その通り。あれ、記憶喪失だから僕のところに来たんじゃないの? そう聞いたら、何て言ったと思う?」


 ころころと変わる一人称。慣れようと思えば簡単だが、セルティはまだ慣れぬらしく、注意しようとしている。
 けれど今この場でそれは邪魔になるだけだと判断したのだろう、行動せずただ反応するだけ。

 問われた質問に対し、大体の見当はつくものの、これで外れていて馬鹿にされるのは癪だと首を横に振ってみせる。
 すると期待でもしていたのか、つまらないと意味の篭った溜息に肩を落とされて。
 微苦笑を浮かべ視線を向ければぴしり、と指を立て。


「――新羅は何をしてるんだ。…静雄はそう言ったんだよ」
「………へぇ」


 それはまた随分と面白い答えだ。


「自分の名前を訊ねれば普通に平和島静雄と答えたし。けれど職業や家族構成を訊くと首を傾げたんだ」
「弟さんの事も忘れてるんだ」


 気持ちが悪いぐらい仲が良いのにとは言わずに。


「平和島幽の名前に聞き覚えはという質問には知ってる、と答えたけどね」


 しかし同じ苗字の彼を自分の弟とは理解していなかった。
 そしてこれまでの説明により、臨也は現段階においての平和島静雄の状態を理解する。
 結果、出た答えはつまらない、で。
 面白そうだなと思ったのは最初の方だけ。詳細に触れていくと酷くつまらないものだった。

 何故か。これを機会に出鱈目な情報を植え付け、自分の足元に下す事も出来るというのに、その考えを臨也は一番に消す。
 折原臨也という名を覚えていようとも、自分達がどれほど犬猿であったか、どんな事をし合って来たか。それは覚えていないのだ。
 過去の一部が欠落している。自分の名前、相手の名前を覚えていない。これはよくある記憶障害だ。
 だが、彼の場合は何と言えば良いのだろうか。確かにこれならば新羅が診断の名称を悩む理由も理解出来る。


「自分の事も忘れてるなら、あの馬鹿力は…」
「――今の静雄にはないよ」


 臨也の質問も途中で切り、はっきりと新羅は言う。


「正しくは、自分に関する情報もないから、筋肉自体がそれを一時的に忘れているだけ、かな」


 例えば静雄にその力の事を教え、実際にさせてみれば復活するという。
 それを聞き、ならば簡単に完治するのではないか。臨也はそう思うと同時に、この場に自分が呼ばれた理由を知る。


「……俺にシズちゃんの世話やれとでも? 情報を教えるついでに?」
「素晴らしいね! まさかそこまで理解してくれるなんて!」
「…新羅……」


 ああ、これは態とだと、一瞬ナイフを出しかける。
 だが後ろから物音がした為、すぐにポケットに入れて後ろを振り向いた。
 ドアが開き、そこに居たのは濡れた髪もそのままにタオルは肩へ。そしてラフな格好をした話の中央人物がいた。
 まさかこのタイミングで、とは臨也は少しばかり溜息をつく。

 彼に対する情報は理解した。けれどその結果出てきた結論に対する文句を言えぬまま。
 これで新羅が言葉を続ければ自分に拒否権はないと、静雄が居る中でも文句を言おうとしたが、止める。

 茶色の混ざった瞳が臨也を見つめる。まるで観察し、情報を得ようとするかのように。 
 目の前にいるのは平和島静雄で。けれど彼らしからぬ行動と様子は吐き気を呼ぶには十分で。
 何故ここまで不愉快になるのか。その目を止めろと叫びたい衝動に襲われる理由はいったい。

 臨也が内心で葛藤している最中、静雄は先程まで居なかった全身を黒い衣服で纏った青年を見つめ。


「あんたも俺の知り合いなのか。じゃぁ、名前は?」
「――――」


 思わず臨也は赤い目の全体が見える程に大きく目を見開いた。
 名前は分かるが詳細が分からないとは、関係性のみならず――全てにおいてという意味なのか。






.

 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ