首無騎士

□存在否定肯定_トムシズ
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 人間は血液を大量に失えば死亡する。
 正しくは体重によるが、平均の成人男性では約13分の1から14分の1とされている。
 また、血の流れ方にもよるという。
 静脈・動脈共に大事な血管であり、どちらかという事は正しくはないだろう。
 ただし、さらりとした血液が大量に流れている場合は危険極まりない状態である。

 これが正しい人間であり、傷の治療が早く、多少の出血量であれば少し休めば平然と出来る自分はやはり化け物なのだ。
 そう、一般人が自分と同じぐらい出血すれば容易にその命を落としてしまう。
 例えばそれが頭部とでもなれば、大袈裟に出血するといわれようとも、それはつまり、それだけ血管が集中しているという事であり。

 だから、これは。

 だから…――。





 静雄は目の前が真っ赤になるという現象を始めて体験した。
 真っ暗であったり真っ白であったり、倒れる前兆というものは度々経験しているが、真っ赤というものは始めてだ。
 否、その言葉は正しくない。苛立ちに血管か何かが切れる時は真っ赤になる。しかしそれは一瞬であり、こんなにも長くは続かない。
 だって、この赤は自分のものではないのだから。

 相変わらず自分に喧嘩を売ってくる不良が居た。仕事中であった事もあり、無視を試みようと勤めたが、当然なら無理で。
 ノミ蟲相手ではない為、自動販売機やポスト、ゴミ箱等は投げずに殴って来たから殴る、を繰り返していた。
 頭を何か固い物で殴られた際には一瞬視界が消えるも、意識が戻った時には相手を殴り飛ばした後。
 残りの人数を確認し、ああ、またトムさんに迷惑が掛かると血の気が引いたのか、僅かばかり冷めた頭で考える。
 ちゃんとトムさんは避難出来ただろうか。彼ならばちゃんと遠くに居て、喧嘩が終わったら笑いながら迎えてくれるんだ。

 だから、なんで、そんな。


(そんな血相を変えた表情で、こっちに走ってくるんすか)

「―――避けろ、静雄…!」





 それは偶然だったのかもしれない。否、自分の注意力が散漫していたというべきか。頭に血が上ってしまえばそれは当たり前で。
 故に喧嘩している場所が工事現場の近くだったなんて、今になって漸く気付く。
 隙間から見える視界は土煙に埋められている。けほりと咽て自分の上に乗っかる重さの…トムに気づく。
 自分に覆い被さるようにし、頭を守るよう抱き締められている為、いったい何が起きたのか全く把握は出来ずにいた。
 けれど、ポタリ、と頬に何か冷たいものが落ちたのは解る。雨にしては温かく、肌寒くもない。
 もう一度それは、今度は鼻の頭に落ち、暗くとも見え、伝った先に嗅いだニオイに静雄は目を見開く。

 この、鉄臭さを自分は知っている。肌を伝い流れる生温さも、また。
 ゾクリと背筋に冷たいものが奔った。周囲の人間が騒ぐ声も、土煙に咽ていた事も忘れただ一点のみを見つめる。

 ガシャン、と重たい音――鉄骨がトムの身体から落ち、その重さに引き摺られるようにトムの身体がずるずると静雄の胸の部分まで崩れた。

 声が出ない。腕が、身体が震える。咽喉から絞り出し擦れ切った声で漸く彼の名を呼ぶ。


「…ト、む…さ……」


 ――平和島静雄の身体は一般の人間とは違う。
 刃物でもなかなか傷付かず、治癒も早い事は彼の身近な人間であれば基本知識として脳内に入れられている。
 特に今、最も身近な人である彼こそそれぐらい解っている筈。なのに何故、彼は自分を守り、血を流しているというのだ。

 目の前が真っ赤に染まっていく。周囲の野次馬達の声が耳鳴りと混ざり合い雑音となる。


「トムさん…、とむ、さ…ん……ぁ」


 頭に衝撃を与えてはいけないし、鉄骨が落ちて来たのだ、下手に動かして骨でも折れていたら。そんな事ばかりが脳内で繰り返される。
 取らなければならない行動など多々あっただろうに。静雄の目の前は赤であり、脳内は白であった。

 ―――死。

 ふと、静雄の脳裏を過ぎった単語はそれであった。
 瞬間咽喉から声は消え、寒くもないというのに歯を激しく鳴らす。
 彼のスーツを握り締めて、空を吐くように彼の名を呼ぶ。

 早く、病院に連れて行かなければ。
 病院…そう、医者だ。医者は何処だ。医者は新羅だ。そう、新羅。
 連れて行かないと、けれど無理矢理動かして何かあったら俺はもう何も出来なくなる。


 頭が痛い。くらくらする。
 何故だ。怪我を負ったのは彼であって自分は無傷だというのに。
 痛い、痛いんだ。頭が、痛い。
 助けて、トムさんを。助けて、トムさ…―――


 暗い世界で白銀の糸が切れるように、ぷつりと小さな音が聞こえた。







 目を開けると、そこは白い天井――ではなく、見知らぬ家であった。
 霞む視界に目を細めれば薄暗い部屋が次第にはっきりと見えてくる。カーテンは閉められているが光の零れ日はなく、どうやら夜らしい。
 きょろりと周囲を確認しようと首を動かせば、ずきりと鈍い痛みが頭に響く。咄嗟に手を当てれば、ざらりとした布――包帯に触れる。


「……あ? なんだ、こりゃぁ」


 ぼそりとトムはぼやく。いったい何故自分は頭に包帯を巻かれ、ベッドで横になっているのだろうか。
 記憶を遡ろうとすれば、昼間までに午前中の回収を終え、静雄と昼食を摂ろうとしたところで静雄が絡まれ。
 それで、と辿った末に目を見開き、勢いよく上半身を飛び起こす。ずきりと走った痛みに頭部を押さえた。


「あ、目覚めましたか」


 キィ、と音と共にドアが開かれる。差し込む光に目を細めていれば、白衣の男が顔を見せた。
 確か静雄の友人で、色々世話になっている医者の…そう、岸谷新羅という名前の医者だ。
 彼は電気をつけぬまま近付き、お盆の上に乗せていた水の入ったグラスを渡す。
 一口飲めば随分と咽喉が渇いていたらしく、ごくごくと咽喉を鳴らしあっという間に半分飲んでしまった。


「なんか…世話になっちまったみたいだな」


 此処にいるという事は静雄が運んでくれたのだろう。
 苦笑を浮かべつつ礼を述べれば新羅もまた苦笑した。そしてふと、トムはその肝心の静雄は、と瞬きをする。
 すると新羅にはそれでトムが次に何を問いかけてくるのか理解出来たのだろう、肩を竦めながらトムの隣にあるベッドを指す。
 指の先にあったベッドの上には大きな山が出来ていた。布団から頭は出ていないがどうやらあの山の正体が静雄らしい。
 息苦しくはないのかと内心呟きながら見つめていれば、新羅は――呆れたような――小さな声で言い始めた。


「貴方を運んで来た時の静雄君は酷い状態でしたよ。とても普通の状態とは言えない」
「………!」


 彼の発言にトムは僅かながらも目を見開いた。
 まさか、静雄も怪我を負ってしまったのか――瞬間そんな予測が脳裏を過ぎったが、新羅の言い方にそれを否定する。
 まず、酷い状態という前に、酷い怪我だと言う筈だ。次に普通の状態、というからにはそれは肉体的ではなく…――。


「気が動転している静雄君なんて珍しいので面白かったですけどね」


 くすくすと笑っているが、何故かトムには笑っていないように思えた。 
 次に溜息を1つ。それは静雄へというよりはトムに対するもののように思え視線を向ければ新羅は苦笑を浮かべる。


「何故、静雄君を庇ったんですか?」


 彼の身体の構造ぐらい、身近にいる貴方ならば知っていたでしょうに。
 暗闇の中だというのに不思議と新羅の目ははっきりと見えた。そしてその目が本心から問いかけているのだと教える。
 対してトムも同様に苦笑を浮かべた。


「そりゃあ、関係あんのかい…?」


 どれだけ身体が丈夫だろうとも、静雄は大切な同僚だ。すぐに治るとはいえ、怪我などさせたくはない。
 当然だといわんばかりの態度に一瞬新羅は目を見開き、しかしすぐに戻ると肩を竦めて静雄を起こしにかかる。
 ゆさゆさと揺れ、まだ起きたくないと言わんばかりの小さな唸り声にトムはくすりと笑みを浮かべた。
 幾度か名前を呼び、余程その布団が心地良いのか新羅の声を遮るように布団の奥へ奥へと静雄の身体は消えていく。
 流石にそこまで深い眠りに入っている人間を起こすのは忍びないだろうに、とトムはベッドから出ると新羅に退くよう言い、静雄を起こそうとする。

 言葉をかければぴくりと反応を見せ、身体を揺らせば「ン……」ともぞりと顔を出し、うっすら目を開く。
 自分が一度起こしかけているとはいえ、全く違う反応にそれを見ていた新羅は呆れたような溜息をついた。


「トム…さん……?」
「おー。もう夜だべ、静雄」
「っす…―――ッ!」


 普段と変わらぬ日常会話。しかし次の瞬間静雄は目を見開き、勢いよく飛び起きる。
 掛けられていた布団はベッドから落ち、避けなければ新羅は布団の下敷きになっていただろう。
 見開いた目はトムを見つめ、頭部に巻かれた包帯に手を伸ばすも止め、ゆるゆると縋るようにワイシャツを掴む。
 大丈夫ですか、他に怪我はありませんか。
 貧血とか、立ってて平気なんすか。
 なんで、俺なんか。


「庇ったり…したん、すか……」


 懇願よりは不安と疑問で歪められた表情は今にも泣き出しそうで。
 言葉を発する唇は小さく震え、声も酷く弱弱しい。
 あれは本当にあの平和島静雄なのか――きっと多くの人間がそう思うだろう。
 しかし新羅は静雄の本質を知っている為、意外という思いはあったが同時にそれが彼などだと理解し、部屋を後にする。
 新羅が出て行った事など静雄は気付いていないだろう。否、そもそも目の前にいるトム以外に誰がいようとも彼は気付かない。
 トムはパタリ、と扉が小さく閉じられた音を聞くと、自身のワイシャツを掴む震える手の上にそっと手を乗せ、目尻の涙を拭う。


「あのなぁ静雄。お前が思ってる程俺は脆くねぇぞ?」
「ッ…で、でも…あ、んな…血が………」


 トムから視線を外したくないのだろう、強く否定したいだろうに頭部はゆるゆると左右に振られるだけだ。
 サングラスを掛けていない為か、それとも自分が先輩という年上の立場である為か。今の彼は実際の年齢よりも幼く見えてならない。
 誰であったか、静雄を凶暴な猛犬だと例えた人間がいた。無論、そいつは静雄により大怪我を負ったが。
 しかしトムには猛犬というよりは子犬にしか見えない。自分よりも身長もあり、細くはあるが体格もいい人間に対して抱いて良い印象ではないだろうが。
 この感情は愛おしいとは違う。恋愛感情はない。否、愛おしいイコール恋愛感情と繋がらないのだから、そう例えるべきか。
 結論の出ない迷宮に足を踏み入れる寸前でトムは考える事を止め、ごしごしと今度は強めに涙を拭いてやる。
 慰めるように頭を撫でてやれば、犬が主人にするように、腹部へ頭を押し付けてくるではないか。
 思わず出てしまった笑いに、「ほら、帰んべ」とぽんと叩き、剥がすという表現は聊か変だが静雄の首根っこを掴み、剥がす。


「トムさん……」


 まだ何か言いたげだが、トムは上着を探す。しかし探せども見つからぬそれに首を傾げていれば、後ろから静雄がクリーニングに出したと言う。
 どうやら血が付いていたとかで、すぐに新羅がクリーニングへ出してしまったそうだ。
 それぐらい自分で…とも思ったが、ある意味静雄の為にはそれが一番だと――見える場所に置いては静雄の混乱が悪化する――気付き口を噤む。

 ある程度の支度を終え、新羅にお礼を言い、料金を払おうとすると断られた。
 闇医者である以上、それなりの金額を覚悟していただけに、トムが驚いていると「面白いものが見れたので」というのが理由だ。
 面白いもの。つまり動揺する静雄。何故かそれが不愉快で、財布の中から札を数枚取り出し、机の上に置いてマンションを後にする。
 「タクシー呼びましょうか」と心配する後輩の頭をくしゃくしゃ撫で「大丈夫だから安心しろって」と笑顔を見せた。
 

 そして、そんな2人の帰り姿を新羅はマンションのベランダから眺める。
 不要と言ったにも関わらず置いていかれた料金。多いか少ないかは別として、自然と苦笑が零れてしまう。

 ――助けてくれ、新羅…!

 連絡1つも寄越さず来た友人の顔色は真っ青。寧ろ彼の方が重病人に思えて。
 頭部の出血は傷の割に酷いと自身が体験しているだろうに、どれだけ言い聞かせてもいう事を聞かず、最終手段で水に睡眠薬を混ぜて飲ませた。
 今までだって無関係の人間を多々巻き込んで来た彼があそこまで動揺する人間。臨也ではないが確かに興味はある。


『――もしも』


 ふと、脳裏を過ぎる言葉。


『ねえ、新羅。もしも、あの化け物を本当の意味で人間扱いする人が現れたらさ』


 高校時代、その整った顔立ちには不釣合いな大きな絆創膏を頬に貼りつつ、まるで夢を語る子供のように楽しげな顔で。


『その人間の方が』




「―――化け物かもね、…か」


 平和島静雄。今でこそ名前を聞けば大半の人間が恐怖という意味での印象を持っているだろう。
 日常生活がどれだけ大人しく、優しくとも一目彼が暴れている姿を見れば人間は離れていく。何時自分に被害が来るか分らないからだ。
 だからこそ、彼は…折原臨也は思ったのだ。そんな化け物を人間扱い出来る者が存在するのなら、それこそ化け物だ、と。
 単純な話、普段の静雄を知ろうとも恐怖を欠片も持たず、彼の全てを肯定する人間など認めたくないのだろう。
 常に彼の視線の先には自分だけいればいいという独占欲。捻くれてはいるがつまりはそういう事だ。


「全くもって、迷惑な話だよ。ほんと」


 新羅は大きな溜息を付くと、愛しの女性が早く仕事を終えて戻って来る事を心待ちにしつつ、部屋へ戻って行った。

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