小説(鋼)

□虹彩
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降りしきる細い雨の幕を切り裂く様に、黒い衣が駆けてゆく。
パァン、という音と共に、灰色の空に赤い光が上がった。
黒衣の者は、走った。光の主の許へ。

「リン様!」
黒衣を纏ったその少女は、顔に被った仮面から息を洩らしながら、木にもたれ気を失っている少年の名を叫んだ。
「ランファン…」
細い目をうっすらと開け、少年――リンは、少女の名をそっと呼んだ。
「リン…様…」
ランファンは呼吸に近い声で主の名を描いた。
そして、はっと気付いた――リンの腕から、赤い液体が滲み出ている。
ランファンは小刀で自らの衣の袖を切り取り、リンの腕にぎゅっと結びつけた。黒い布に、錆びた赤色の染みがじわりと広がる。
「申し訳…ありません」
呟く様に言って、ランファンは俯いた。
「私がもう少し…早く来ていれば…」
声が震え、瞳の表面は熱を纏い、目頭にうっすらと雫が浮かぶ。
その時、ランファンの顔を隠していた仮面が外れた。優しく。ふっと顔を上げると、そこには仮面を手に持って微笑むリンがいた。
「いいよ」
「え…?」
ランファンの項に、リンの息がかかった。雨の匂いがする。肩を、背を――リンの腕が包んでいる。
「ありがとう」
耳元でリンが囁いた。静かではあるが、はっきりとした、確かな口調だった。
「遅れても、お前は必ず来てくれる。いつでも、どこにでも」
ランファンには、返す言葉が見つからなかった。自分の到着がもう少し早ければ、リンが傷を負う事は無かった。それでもリンは全く自分を責めず、今、感謝の気持ちをもって抱いてくれているのだ。ランファンの心の中には幾つもの言葉が浮かんでいたが、それらは全て相反するもので、繋げる術など無かった。
リンの腕の中で、ランファンは泣きじゃくった。ただ、ただ。
ランファンが泣き止むまで、リンは彼女の髪を、そっと撫で続けた。

いつの間にやら、雨は上がっていた。
木の葉の隙間からは、柔らかな光が降ってくる。
「リン様、館に戻りましょう」
安全を確認したランファンが木から降りてきた。
「ああ」
リンは頷くと、すっと立ち上がり、空を見上げた。
「ランファン」
「…?」
リンの指が、空を指す。
そこには、大きな七色の弓が弧を描いていた。
「綺麗…」
ランファンは、眩しそうに微笑み、虹を見上げる。その瞳に、もう涙は無かった。
そして彼女を見つめるリンも、眩しそうな表情をしていた。
「…帰ろう」
リンは、赤面するランファンの手を握り、虹の方向に向かって歩き出した。

END

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