title


□ことわざ
5ページ/5ページ


 落武者は薄の穂にも怖ず




「ねぇねぇササキってさ」


 その名を聞くと、自然と俺の耳が大きくなる。目は無意識に辺りを探るし、話をしていても無口になってしまう。

 それだけ俺は“ササキ”という言葉に敏感になってしまっていた。


「おい、どうした?」

「あ、いや、別に」


 前の席に座っていた友人に言われて我に帰る。


「えーそんなことないよ」


 “ササキ”の声がする。一体何の話なのか、話し掛けられたので詳しいことは分からないが、何か恥ずかしそうな声だった。


「でさ、さっきの続きだけど」

「あぁ、そこのダンジョンは……」


 女子の話にこっそりと聞き耳を立てながら話す。ぶっちゃけ集中なんてできないが、ノートの端に図説をしながら攻略法を伝授する。


「あーなるほどね!」

「あはは、何それ!」


 我ながら注意力が散漫している。あっちとこっちの話が聞こえる。


「でも本当の話なんだって」

「あ、でもこっちはどうなるん?」

「彼氏が言ってたもん」

「えっ」


 思わずシャーペンを落としてしまう。

 今、なんて。


「おい大丈夫か?」

「あ、うん……」

「……? なんだ、分かんねぇのか?」


 ぼーっとして答えない俺に首を傾げる友人。


「へぇー。お前でも知らないことあんだな」


 そりゃそうだ。俺は攻略本でもましてや百科辞典でもない。

 知らないことなんて星の数ほどある。


「まぁいいや。ここ分かっただけでも。ありがとな」

「あぁ……」


 友人は礼を言うと自分の席に戻って行った。目の前の会話が終わったことで後ろに集中できるのだが、なかなか勇気が出せない。

 聞きたいような、聞きたくないような。だが、すぐ後ろの席ということで聞きたくなくても聞いてしまう。


「なんでそこでサエの彼氏が出てくるのよ」

「だって」


 サエの“彼氏”?
 なんだ、ササキの“彼氏”じゃないのか。

 ほっとして背もたれに体重を預けると、椅子が動いて後ろの机にぶつかってしまった。


「あ」

「ごめん」


 ちら、とだけ後ろを向いて謝る。平静を装っているが、内心ドキドキものだ。何せ、ササキと口をきいたことなんて数えるほどしかない。


「大丈夫」

「……わり」


 いつもは眺めるだけの笑顔が向けられて、俺は短く言うと体を前に向きなおした。椅子を軽く引く。


「でもササキはどう思うの?」

「どうって……」


 俺が聞いているとも知らずに、後ろは話を再開した。気になる、でもやっぱり聞きたくない。また何か嫌な言葉が聞こえてくるかもしれない。


「いい人だとは思うけど」

「ほらやっぱり!」

「でも、全然話したことないし」

「でも気になるんでしょ?」

「それはそうだけど……」


 ……なんの話をしているんだろう。

 まさか、


「てか私の話なんてどうでもいいじゃない! サキの方は最近どうなの?」


 おい、それはないだろ、ササキよ。

 中途半端に終わらせられた会話が気になって仕方ない。悶々としている俺の後ろでは、すでにササキではなくサキの話題が繰り広げられていた。

 ちくしょー気になる。

 なんなんだ、ササキのいい人って。



 うららかな昼休み。

 俺の耳はいつもササキの影を探している。






 落武者は薄の穂にも怖ず
(僕が落ちたのは君)

前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ