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□ことわざ
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落武者は薄の穂にも怖ず
「ねぇねぇササキってさ」
その名を聞くと、自然と俺の耳が大きくなる。目は無意識に辺りを探るし、話をしていても無口になってしまう。
それだけ俺は“ササキ”という言葉に敏感になってしまっていた。
「おい、どうした?」
「あ、いや、別に」
前の席に座っていた友人に言われて我に帰る。
「えーそんなことないよ」
“ササキ”の声がする。一体何の話なのか、話し掛けられたので詳しいことは分からないが、何か恥ずかしそうな声だった。
「でさ、さっきの続きだけど」
「あぁ、そこのダンジョンは……」
女子の話にこっそりと聞き耳を立てながら話す。ぶっちゃけ集中なんてできないが、ノートの端に図説をしながら攻略法を伝授する。
「あーなるほどね!」
「あはは、何それ!」
我ながら注意力が散漫している。あっちとこっちの話が聞こえる。
「でも本当の話なんだって」
「あ、でもこっちはどうなるん?」
「彼氏が言ってたもん」
「えっ」
思わずシャーペンを落としてしまう。
今、なんて。
「おい大丈夫か?」
「あ、うん……」
「……? なんだ、分かんねぇのか?」
ぼーっとして答えない俺に首を傾げる友人。
「へぇー。お前でも知らないことあんだな」
そりゃそうだ。俺は攻略本でもましてや百科辞典でもない。
知らないことなんて星の数ほどある。
「まぁいいや。ここ分かっただけでも。ありがとな」
「あぁ……」
友人は礼を言うと自分の席に戻って行った。目の前の会話が終わったことで後ろに集中できるのだが、なかなか勇気が出せない。
聞きたいような、聞きたくないような。だが、すぐ後ろの席ということで聞きたくなくても聞いてしまう。
「なんでそこでサエの彼氏が出てくるのよ」
「だって」
サエの“彼氏”?
なんだ、ササキの“彼氏”じゃないのか。
ほっとして背もたれに体重を預けると、椅子が動いて後ろの机にぶつかってしまった。
「あ」
「ごめん」
ちら、とだけ後ろを向いて謝る。平静を装っているが、内心ドキドキものだ。何せ、ササキと口をきいたことなんて数えるほどしかない。
「大丈夫」
「……わり」
いつもは眺めるだけの笑顔が向けられて、俺は短く言うと体を前に向きなおした。椅子を軽く引く。
「でもササキはどう思うの?」
「どうって……」
俺が聞いているとも知らずに、後ろは話を再開した。気になる、でもやっぱり聞きたくない。また何か嫌な言葉が聞こえてくるかもしれない。
「いい人だとは思うけど」
「ほらやっぱり!」
「でも、全然話したことないし」
「でも気になるんでしょ?」
「それはそうだけど……」
……なんの話をしているんだろう。
まさか、
「てか私の話なんてどうでもいいじゃない! サキの方は最近どうなの?」
おい、それはないだろ、ササキよ。
中途半端に終わらせられた会話が気になって仕方ない。悶々としている俺の後ろでは、すでにササキではなくサキの話題が繰り広げられていた。
ちくしょー気になる。
なんなんだ、ササキのいい人って。
うららかな昼休み。
俺の耳はいつもササキの影を探している。
落武者は薄の穂にも怖ず
(僕が落ちたのは君)