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□ことわざ
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お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ
今日、あいつが学校を休んだ。
同じクラスの奴に聞いたら、風邪ということらしい。そういえば最近はやってるもんな。
「見舞い行かねぇの?」
「なんで俺が?」
からかうように言われたので適当に返した。
ただ家が近所で、小さい頃からよく一緒に遊んでて、たまに互いの家でお食事会なんてものをやるだけの関係だ。世間では幼なじみというらしいが、別に気にしたことはなかった。
だから俺があいつを見舞う理由なんてない……と思ったのだが、俺は今隣近所のあいつの家の前にいた。帰る前に一度顔を見せるだけ、それだけ。
「ごめんなさいね、心配かけちゃって」
「いえ」
あいつの母親が苦笑しながら謝った。一応の余裕を見せ、笑顔で会釈する。
あいつの部屋に入るなんて何年ぶりだろう。中学に入ってからはなかなか機会がなかった。
「うー死ぬー」
部屋に入った俺たちを迎えたのは、絞りだすように唸るあいつの声だった。
「何言ってるの、ただの風邪でしょ」
「うぅ……」
苦笑する母親を見たあいつが、後ろに立っていた俺に気付く。
「あー来てくれたんだー」
熱があるのだろう、赤い顔をしながらあいつが微笑んだ。おう、と適当に返事をした。
おばさんはあいつの額の濡れタオルを絞り直すと、早々に部屋を出ていった。そうなると、必然的に二人きりになるわけで。
俺は急に居心地が悪くなった。
「俺帰るわ」
「は? 何しに来たのよ」
確かに。
俺はドアノブにかけていた手を下ろし、あいつに向き直った。
「座ったら?」
「……おう」
あいつが寝ているベッドの脇に胡坐をかく。熱っぽい横顔が目の前にあった。
「お前でも風邪引くんだな」
「何よそれ」
いつもの調子で言ってみたら、弱々しく微笑みながら反論してきた。なんだか、すごく違和感がある。
「……大丈夫か?」
「……うん」
さっきは「死ぬー」なんて騒いでいたくせに、素直に心配してやると素直になる。そんなところが、実は可愛かったりする。
「ごほっ、ごほっ」
不意に、あいつが咳き込みはじめた。苦しそうに顔をしかめ、口元を押さえる。
「ご、ごめっ、ごほっ」
「気にすんな」
必死で咳を抑えようとするあいつが痛々しくて、俺は安心させるように呟いた。
ほんと、こんなに弱っているこいつを見るのは初めてだ。いつもは憎まれ口ばかりたたいているのに。
「……ふー」
少しして落ち着いたあいつが長く息を吐いた。こっちもほっとする。
「タオルずれてる」
咳をしたときにずれたのだろう、落ちかかっているタオルに手を伸ばした。そのとき、指先があいつの頬に触れた。熱かった。
「……え」
タオルを直そうとした俺の手を急にあいつが掴んだ。突然のことにタオルを落としてしまう。
熱で潤んだ瞳が俺を見る。息苦しいのかわずかに開いた口元。
何、何、何?
固まる俺の手を、あいつはゆっくりと自分の額に乗せた。
「あーやっぱり冷たくて気持ちいー」
「……へ」
ほっとしたように、目を閉じて微笑むあいつに、俺は拍子抜けする。
勝手に焦っていた俺が馬鹿みたいで、顔に熱が集まる。
「あれ? 顔赤いけど……大丈夫?」
額に手を乗せたままあいつが尋ねてきた。赤い顔を見られたのが恥ずかしくて更に赤くなった。
「なんでもねーよ。てかお前の熱が移ったんじゃね?」
「うそ、ごめん」
俺の言い訳に焦ったあいつが慌てて俺の手を放した。自由になった手をそっと離したけど、手のひらに残るあいつの熱が、少し名残惜しかった。
俺が黙るとあいつも黙る。妙な沈黙の中、俺は再びタオルを直してやった。
「ねぇ」
「……ん?」
「私の病気治るかな?」
弱々しく呟くあいつの目は天井に向けられている。
「治るだろ。てかただの風邪に何弱気になってんだ」
「風邪?」
「あぁ。ちゃんと飯食って、ちゃんと寝てりゃ治る」
「……そっか。そうだといいな」
「……?」
どこか引っ掛かるあいつの言い方に首を傾げた。
「……明日も来る?」
「ん? 気が向いたらな」
「ひどっ」
冗談ぽく言うと、あいつが笑った。
そう、これでいい。お前には笑顔が似合ってる。その笑顔でさっさと風邪なんか治しちまえ。
じゃなきゃ、そんなお前を見てこんなに動揺する俺の病気が治らない。
お前の病は薬で治るけど、俺の病は治らないんだから。
お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ
(この病を治せるのは君だけ)