私が知る小松田秀作という男は何時も間抜けな笑顔を浮かべているような印象しかない。
その子供のような無邪気な笑みを学園の人間は好いている様だった。
何か行動を起こすと失敗ばかりの彼の、数少ない取り得とも言えるそれは、けれども、私にとっては何故か日頃から感じている彼への苛つきを無駄に助長させるものでしか無い。
私は彼が嫌いだったのだ。
夏もまだまだこれからだという蒸し暑いある日、久しぶりに忍術学園の門を潜った。
何時ものように間延びした声に出迎えられるのかと思っていたが、しかし、そこにいたのは小松田君では無く見覚えの無い青年だった。
歳は私と同じ頃だろうか。
背はそこまで高くはないが随分と強気そうな顔をしている。
「入門表にサインをお願いします」
お馴染みの台詞を小松田君以外の口から聞く事に多少の違和感を覚えつつ入門表に名を記す。
「何時もの事務員はどうしました」
入門表を返しながら問うと訝しげな視線と目が合う。だが入門表に記された名にあぁ、と納得したような声を洩らした。
「失礼しました。
山田先生の息子さんでしたか」
青年は出茂鹿之介と名乗った。
彼とは面識が無かったが一年は組実技担当の父の一人息子という事もあり、仕事を手伝っていたせいか学園内で私の名を知らない者は少ない。
「小松田なら医務室で療養中ですよ」
呆れたような顔で告げるとじゃあ、仕事があるのでと去っていこうとする彼の肩を咄嗟に掴んだ。
「な、何ですか?」
「療養中ってどういう事です。彼、風邪でも引いたんですか」
小松田君は怪我を頻繁にしているので、医務室にいることは今更驚く事では無い。
が、彼は今療養中、と言ったのだ。
小松田君は異様に体が丈夫で体調が悪くなるなんて滅多に無いんだ、と言っていた父の言葉が脳裏をよぎった。
「え?あぁ、違いますよ。病気じゃありません。
先日学園長に遣いを頼まれたようで、その帰り道で足を滑らせて崖から落ちたんだそうです。
酷い怪我だったみたいで三日間寝込んでいたんですけど昨日やっと目を覚ましたんですよ。
でも暫らくは安静を言い渡されていますから」
全く、人騒がせな奴ですよと出茂が溜息を吐いたとき授業の開始を知らせる鐘が鳴った。
「では、失礼します」
足早に背を向けた彼を今度は黙って見送った。
何度か来たことのある医務室の襖を音もなく開ける。
授業中のせいか室内は閑散としていて校医の新野先生は外しているようで姿は見えない。
そのまま進むと奥まった一角に布団が敷かれていてそこに彼がいるのが目に入った。
起こさないように気配を消して腰を降ろす。
普段は高く結われている髪は解かれていて緩く波打つように床に広がっている。
到底十六には見えないあどけない寝顔だ。
けれどその顔には治り切っていない傷が痛々しく残っていて、知らず眉を潜める。
ふと、枕元に目をやると幾つか花が置いてあった。
早く元気になって下さいなどの内容の紙も見て取れた。
失敗ばかりする彼は不思議に周りの人間から好かれていた。歳の近い学園の生徒達にとっては友に近いのかもしれない。
此等はそういった者達からの見舞いの品なのだろう。
そう思いながら再び小松田君の顔を見ていると閉じられていた瞼が震えて少し茶色がかった瞳が顔を覗かせた。
暫く宙を彷徨っていた視線はやがて私に焦点を合わせると彼はまだ寝呆けているような擦れた声を響かせる。
「利、吉さん・・・?」
驚いた表情を浮かべた小松田君に久しぶりだねと笑みを返した。
入門表にサインをしていただけましたかと起き上がりそうな彼を書いたよと手で制す。
「崖から落ちたそうじゃないか。仮にも忍を目指しているなら、もう少し周りに気を配った方がいい」
言うと彼は笑顔を浮かべて大丈夫ですよぅと言ってのけた。
思わず溜息が出そうになる。
「大丈夫、だと。
そんな死にそうな怪我をしておいて大丈夫なんて、そんな訳が無いだろう」
苛つきが声に出てしまっていたらしい。
小松田君は肩をすくませて、すいませんと消えそうな声を出した。
「まったく、どれだけ人が心配したと・・・・」
「え?」
しまった。そう思って口を押さえたが遅かった。
「心配、して下さったんですか」
意外だと言いたげな表情だ。私はそこまで非道な人間に見えるのだろうか。
「僕、利吉さんに嫌われていると、思っていたので」
絞りだすように言われた言葉に少しだけ胸が痛んだ。
彼がそう思うのも当然だ。
なぜなら嫌われるような態度をわざととっていたのだから。
初めて会った時から合わない奴だと思っていた。
出来ればあまり関わりたくないと。
だからわざと冷たい態度をった。
しかし小松田君は持ち前の鈍さでそんなのはお構いなしに近寄って来て笑顔を見せるのだ。
その度に無性に心を乱されて。
そんな自分が腹立たしかった。
正直に言おう。
私は小松田君が好きなのだ。
きっと彼も拒まない。
それだけの自信もあった。
けれども私は忍だ。
辛い思いをさせてしまうかも知れない。
だからこの想いは胸に秘めたままでいよう。
そうすればいつかはこの想いも少しずつ風化していっていずれ消え去るのだろうと、そう思った。
それなのに。
「利吉さん、有り難うございます」
あぁ、君のせいだ。
忘れ欠けていた想いも君の些細な言葉で再び溢れだす。
どうしようもなく胸が満たされるんだ。
君が余りにも綺麗に笑うから、
さぁ、責任を、取ってもらおうか。
肯定以外の答えは要らない。
問答無用でその体を抱き寄せた。
嫌いだよ
(嘘、好きだよ。
絶対に言ってやらないけどね)
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3100番の切り番を踏んで下さったコト様へ捧げます!何だか無駄に長いうえにグダグダになってしまいました・・・。
こんなものでよかったら受け取って下さい!