適当二次小説
□第十八節
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第三百三十三『邪魔な境界』
陽も傾いて、落ちかけの夕空なはずの曇り空。
藍は結局、悩みに悩んだ末に帰ってきてしまっていた。
不安にも駆られたが、紫が起きていないのもあり、留守を任されている立場としてはあまり空けるのもどうかと思ったからだ。
正直なところは橙への愛情と信頼があったのかもしれないが、複雑な表情を隠そうとして微妙な凛然を醸し出している藍の考えは、知れる所では無かった。
金属音を鳴らし、釜を水ですすぐ藍。
時折漏れる吐息は、度重なる問題による心労の現れ。
マーブの事に関しては、むしろ橙の要望を叶えてやりたいという気持ちの方が強いが、こんな時に意味深な言葉だけを残して目覚めようとしない紫が当面の頭痛の種だった。
睡眠に入る前に紫が放ったのは、『頼む』の一言ではあるが、それゆえに思慮深い藍には色々な意味に取れてしまい、考えれば考えるほど頭が痛くなるのだ。
そもそも、藍が紫から任されている事は普段から言葉にせずとも沢山あるし、わざわざ言うという事はそれなりに重要である事だったりするのだろうかとか、藍はコンマ何秒かで思考を巡らせていた。
頭が痛くなる原因はこれにあるというのに、真面目すぎるのも辛い所である。
「うーん……」
再度痛くなりそうだった頭を一旦逃避させ、藍は釜を裏返しに洗い場に置いた。
夕飯まではもう少し余裕がある時間。桶に溜めた水を手で適当に揉みながら、藍はぼうっとある方向を見つめる。
それは紫がいまだ布団に横たわり、眠り姫と化している部屋の方向であった。
今日出かける前にも目覚める気配は無かったし、長期に眠る前には何かしら予兆が見られたはずなのに、と藍は小首を曲げる。
その時、藍は一筋の小さな小さな違和感を感じた。
「ん?」
微かに。認識ではなく、直感覚で僅かに捉えられる違和感。
気配の違いとでも言うのだろうか、藍が見ている方から、静かではあるが確かに揺れ動くものがあったのだ。
「……紫様?」
藍は無意識の内に呟いていた。
主人の力の流動。
それを掴み取れた藍の身体は自然と動いていた。
襖は小さな擦れる音をたてながら、藍の手に合わせて素直に開く。
部屋は静寂。その上に更に静寂で包み込まれて、紫の眠る布団がやけに色が違って見えた。
「紫様?」
藍は確認のためにも、もう一度主人の名前を呼ぶ。
雀の涙程の可能性にかけた呼びかけ、これに反応してもしないでも、藍の心持ちは安らぐ気がした。
返答は、無い。
薄々分かっていたことではあるが、起きている間の紫を想像する、藍は寂しく感じてしまっていた。
自分の気持ちに気付いてから、藍は自嘲気味に紫の布団を眺める。
藍はある事に気付いて口を開けた。
紫の手が動き、伸ばそうとしていたのだ。
意思を伝えようとするかのように、紫の手は藍へ向かって伸ばされていた。
「……」
藍は黙って紫の元へすり寄る。
伸びた紫の手に視線をおき、藍はなるべく音を出さないように紫の動向を伺った。
白くて透き通るような指先は、脳に纏わりつくまどろみを払拭しようと、がむしゃらに何かを求めているようだ。
「……ん」
やがて、紫は重く唸った。
藍が視線をあげる、紫の瞼は若干ではあるが開かれていた。
「少しばかり、長いうたた寝でしたね」
わざとらしく藍はとぼけてみせる。
普段ならばこんなことはしないだろう。藍は自らをも一度嘲ることで、落ち着く暇と余裕を自分に与えたのだ。
紫の眼はくりくりと動き、確かに目覚めていたようだった。
しかし、些か凄まじい眠気に襲われているようで、堕ちそうになる意識と瞼を必死に堪えているようにみえた。
「……藍、聞いて」
ようやく、紫からの明確な反応が帰ってくる。
藍はこくりと頷き、耳を傾けた。
「…睡眠欲の境界を、……いじくられたの」
「…え?」
藍は、思わず耳を疑った。
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