格闘王者
□いい友達ずっと友達、残酷すぎて笑える
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ワイングラスが音を立てて砕けた。
結んだ口端から流れる赤の液体、それを荒々しく拭いながらテーブルに手をつき、呆気に取られている向かいに座る彼を見下げる。
口の中はとても渋い。苦くて、不味くて、息を繰り返すたびにあの味が蘇った。テーブルの上のその液体のラベルを見て、改めてどんな飲み物かと思い知ることになった。
「美味しい。」
口をついて出たのは思考とは正反対の言葉。掌をひらひらとさせながら革張りのソファの下、砕けたワイングラスを靴で踏みにじった。
アルコール度数11%の葡萄ジュース、たかがそんなものでこんなに気分が高揚するなんて思ってもいなかったというのに。
「……ミネルバ?…酔って、る…?」
「酔ってる訳ないじゃない。こんな安ワインで私が酔うとでも?」
苦い、苦い、でも甘い。
そんなアルコール入りの葡萄ジュース――ワイン、を、口にして。
どろどろとした血が体中を巡る感覚に恍惚となりながら、目をぱちくりとさせている少年に微笑んだ。
「もう一杯。」
「……キミがグラスを割ったんだよ?」
「そぉだったかなぁ?んじゃ、アッシュのグラスでいーよ」
嫌だ、とアッシュが視線で訴えるのも知らない振り。こちらが差し出した手に嫌そうな顔をしながらも、彼は大人しくワイン入りのグラスを差し出した。
「未成年がお酒なんて飲んじゃダメよ、アッシュ?」
「……何を年上ぶってるのさ」
「年上だもの?」
クスリ、口端を歪ませて見せた微笑みにアッシュが目に見えて引いた。
「アッシュの恋路にささやかなエールを送るって決めたもの!!」
「……本当迷惑だね」
……………事の始まりは三時間前。
久しぶりに二人でケーキ屋に行く事になっていた。
私は、前からアッシュが好きだったし、アッシュがケーキを食べて幸せそうにしている姿が好きだった。
……だから突然の事に驚いた。
『ボクね、好きな人がいるんだよ』
そう聞いたから、その瞬間にこの想いを封印した。
わたしはアッシュがすきだった。
そして今私の家で、ちょっと値の張るワインと、持ち帰ったザッハトルテで話をしている最中なのだ。
「なに言ってんのよ!じゃー最初っから相談なんてしないでよー」
「…………相談じゃなくて…」
アッシュは呟いて仕方なしに、水のグラスに口をつけた。時を同じくして奪ったアッシュのワイングラスを一気に飲み干す。
「大丈夫、応援するし!!私は他言なんてしないから!心配しなくても、私は―――」
「本当に?」
「―――え」
それは突然だった。
今さっきまで向かいに座っていたはずのアッシュが、いつの間にか隣にいた。隣に居て、嫌に真剣な瞳で手を伸ばしていた。
その手が私の顎にかかる時、頭は真っ白になっていた。
「あ、あのあの、あのあのあのアッシュ!?」
「他言しないし応援する。嘘じゃないよね?本当だよね?」
その瞳に吸い込まれそうで息が止まる。そんな綺麗なアッシュの色、見たこと無い。
言葉を返すにも、なにも頭に浮かばない。
「あ、当たり前じゃない…!だって、私…」
「………」
「私、アッシュとは『トモダチ』って思ってるから…!!」
「―――。」
漸く浮かんだ言葉に青ざめるのは、手遅れになった後。
重たい沈黙が流れて、アッシュの瞳が一瞬見開かれた気がした…のは、ただの願望だろうか。
「あ、の、その、いや、別に深い意味は―――」
「………ククッ」
押し殺したような笑い声が聞こえたのは弁解しようとした次の瞬間。…触れていた指も離れ、アッシュが吹き出して笑い始めた。
「酔っ払いにする相談なんて無いよっ。…やだなぁ、ミネルバ。本気にした?」
「―――。」
「間違ってもボクはキミに相談なんてしないよ。…ましてや、酒の席でなんてね」
その声は緊張を崩すには充分で。
力が抜けた体がソファに崩れ、口から数秒の後には勝手に溜息が漏れた。
「ったく…いつまで呑んでるのミネルバ?ケーキが乾いちゃうじゃない、ほら食べ―――」
「…………―――」
「……ミネルバ?」
薄れた意識はその言葉で細い糸のように切れ、それからは何も記憶に残っていない。
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