格闘王者

□恋と愛の違いがやっと判った
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「――――大丈夫?」
「あ、………。」

影の中に滴る血液に息が出来なくなった。
打ち付けられた背中が痛い。けど、動けない訳じゃない。
腰をおろしたまま見上げれば、その短い髪が揺れながら――赤を滴らせている。

「ア、ッ………シュ」
「ダメじゃないか」

彼の表情はいつもと変わらない。そんな当たり前がとても苛立たしい。
どうしてこんな事に?―――そうだ、確か一人で歩いていて、車…ワゴンが、突っ込んで来て―――

「なんで」
「キミが危なかったからネ。僕が近くにいて良かっただろう?今頃死んでたよ」
「じゃなくてっ……なんでアッシュが庇ったのよっ!!」

そう、確かに死んでいただろう。
アッシュの背中では破壊されたワゴンがひっくり返って潰れていた。
アッシュの額からは血が出ていて、それが凄く怖かった。

「死にたかったかい?」
「違う…けど、アッシュ、怪我してっ……」
「この位。」

アッシュが袖口で血を拭うが、頭の傷は簡単に血が止まるものでは無い。
困ったように首を傾げながら、アッシュが笑った。

「心配性だネ、ミネルバは」
「………ったり前でしょう!?」
「それは僕だから?」
「っ―――!!?」

こちらの心配をものともせず、悪びれる様子もなくアッシュは笑った。
偉そうな笑顔が小憎らしい。やっぱりあとでその唇をアヒルにしてやる。

「ねぇ、どうなの?」
「――――煩いっ!!…あぁもう退いて!その傷手当てしなきゃ!」
「この位じゃ死にはしないヨ?……それとも」

徐々に人が集まって来た。…無理も無い。事故には一割の警察官と五分の当事者、八割五分の野次馬が大抵のセオリーだ。
そんな視線に晒されながら、気恥ずかしさにアッシュを剥がそうとした。―――なのに

「僕から『スキ』って言われた方が言い易い?」
「―――――!!」

更に顔を赤くする事になるなんて考えて無かった。

「……ミネルバ、…僕がこう言ったからには、逃がさないよ」
「………な」
「じゃあね。…注目を浴びるのは嫌いじゃない。けど、こんな注目は遠慮したいな」

怪我してるなどとは思えない風に、アッシュは軽く身を翻し

「またね、ミネルバ。アディオス」
「あ、―――――。」

そして何でもないかのように、即座に風のように消えた。

「…………。」

あとに残るのは人だかりと、遠くに聞こえる救急車の音。
ワゴンを見れば血塗れになった男性が運ばれている。息があるようで、少し安心した。

「――――アッシュ」


逃がさないよ



彼の言った言葉が耳から離れない。
何故こんな事態に陥るのか、非常に意味不明で何だか眩暈がする。
でもこんな状態でもなければ、あのアッシュの事だから執拗に答えを問い質されていただろう。

「…………………。」

………訳が解らなかった。
考えないようにしていたこの気持ちの意味も、アッシュの血を見ての恐怖感も。
何の事はない、意味は解っていた。ただ失うのが怖いだけだ。

「……ばか」

とっくに気持ちは決まっている。
『同じだ』と言ってあの手をとれたらどれだけ楽だったか。
霞む視界に自分の手を収め、ゆっくり瞼を下ろす。


まさか

私を守ってくれたあの顔が、なにより格好良く見えたなんて


例え死んでも言ってやるものか。








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