格闘王者

□大好きよ 多分
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食べた事、ない。

そんな事を言ったら凄くびっくりされるのは解っていた。

チョコレートコーティングがさくさくの甘いケーキ。アプリコットシロップをたっぷり塗ったココアスポンジ。砂糖を入れずに泡立てた生クリームと一緒に――

そんな情報だけなら本で見た。
ザッハトルテ―――アッシュの好物。


「ナイの?」
「無いわ」
「……………。」

待ち合わせた街外れの公園。
お使い、みたいに前言われていたアメリカのブランドのネイルポリッシュとマニキュアを渡す為にそこにいた。
時間より遅れて来たアッシュは上機嫌で、ここに来る前にザッハトルテを食べて来たらしい。

無い。ある訳、ない。

少なくとも、私の住んでいた場所には無かった。ザッハトルテなんて、名前は知られていても出してる店なんてまず無い。
出していたとしても、あんな高いケーキ食べるには先立つものが必要なのに。

「勿体ないヨミネルバ!!あんな美味しいケーキ」
「だからケーキにほいほい費やせるお金なんざ無いって言ってるでしょうが」

自分とアッシュでは比較対象をかなり間違えている気がしてならない。こんなザッハトルテ好き蟹好きの男に自分を比較など、それこそ月となんとやらだ。
アッシュが蟹を食べている時、自分は明日の食べ物に悩み、アッシュが歯の矯正なんざやってる時、私は街から街への放浪中だったのだから。
ムカついたので買ってきたマニキュア類が入っている袋を投げ付けるように渡した。袋に刻まれたブランドのロゴが厭味だ。

「……ハァ……。世の中間違ってるよネ。それとも、あの美味しさを君と共有出来る…なんてカケラでも思ったボクが悪いのかな?」
「ったり前でしょ。……アッシュ、なんか引っ掛かる事ばっかり言うんだね?」
「そう?気のせいじゃないのカナ?」

一発殴っていいですか、神様。

「人の財布の中身、解って言ってるんでしょ?」
「財布?あぁ、君のあのボロっちい汚い布キレ?やけに軽かったね」
「張っ倒すよ、いい加減」
「ねぇ、食べに行こうよザッハトルテ」
「……………何急に」

本当に唐突だった。
いつもと変わらない楽しそうで嬉しそうで、そんな表情でこっちを見ている。
ニィ、と笑った唇が嫌に綺麗で、悔しいからつまんでアヒル口にでもしてやりたかった。

「絶対気に入るよ。本当美味しいんだから!!」
「美味しい、ってのは前も聞いた。……なんで急にそんな」
「いいから、行こう!」

何を乱心してんだ、と思う間もなく腕を掴まれた。

「ひゃ、ちょ、何!!」
「だから、君にも食べさせてあげるヨ、って言ってるんだよ。好きでしょう?甘いもの」
「……………。」

掴まれた、その手の強引さに目を細めた。
……この我が儘王子は、どうやら人の話を聞く気は相変わらず無いらしい。

「………大好きよ」
「やっぱり!じゃあ、ほら行くよ、キリキリ歩く!」
「何仕切ってんのよ!」

大好きよ、多分。
食べた事ないからあまり解らないけれど―――。


貴方が好きなら、きっと私も好きになる。







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